コンビビアルであるために自らの内側を掘り起こす 事業構想大学大学院

社会人大学院の経験談を紹介する「先輩インタビュー」

今回は、事業構想大学大学院を修了した土屋 慶一郎さんです。

「コンビビアル=自律している個人が互いの存在を認め合い、共に活き活きとしている状態」を追い求め、現在は北軽井沢の地域価値創造企業・きたもっくの事業戦略などを手がけていらっしゃいます。

多くの事業を創り上げ育ててきた土屋さんが大学院で発見したのは、自分の過去から未来へつながる一本の線のような道筋。自分の中から「本当にやりたいこと、存在次元」を掘り起こした結果です。

社会人が学ぶとはどういうことか、何のために大学院へ行くのか。あらためて考えさせられるインタビューです。



土屋 慶一郎さん

株式会社Nuage代表・有限会社きたもっく事業戦略室室長 他
名古屋大学中退後すぐにゼロから事業を創造。その後多様な企業の経営、事業戦略立案、新規事業創造、人財育成などに携わる。2009年から富士山麓・浅間山麓を拠点に「共鳴できるビジョン・信頼できる人・心地よい空気感」の3つを満たす企業やコミュニティ、プロジェクトにコミットして活動。
著書「コンビビアルなマネジメント - しなやかな組織、コミュニティの創りかた」(文化科学高等研究員出版局)

卒業・修了した大学・大学院:事業構想大学大学院
入学年月(年齢):2014年4月(44歳)
修了年月(年齢):2016年3月(46歳)

「社長」からスタートした社会人生活

—————まずはご経歴についてお聞かせください。

生まれは大阪ですが、父が東京で起業することになって引っ越し、小中高まで東京で過ごしました。大学は「大阪・東京は住んだことがあるので、次は名古屋だろう」と考えて、名古屋大学工学部に入りました。

大学時代は正直、学びにあまり関心を持てませんでした。アルバイトでバーテンダーをやっていたのですが、当時は本気で将来はバーテンダーでやっていこうと思っていました。

卒業まで半年ほど前のある日、老舗中小企業のオーナーから、「うちの事業は斜陽産業で、このままでは会社が潰れてしまう。土屋さんが自分の好きなようにやれる新しい会社を作るから、ゼロから挑戦してみないか」という話を頂きました。

バーテンダーをやっているといろいろな方と知り合いますから、実はそういうお声がけはこれが初めてではありませんでした。それまではあまり興味が持てずお断りしていたのですが、ふと「バーテンダーでやっていくとしても、その前に一度ビジネス経験を積んでおくのがいいかもしれない」と思い、お引き受けすることにしたのです。

そして卒業3ヶ月前に大学を中退して実業の世界に飛び込みました。その時は何も考えていませんでしたが結果としては社会人生活を、いきなり社長という立場でスタートしたことになります。


—————それはすごい!

「お金はないけど何やってもいいよ」と言われていたのですが、本当にその通りでした。どうしましょうか?と聞いても「とにかくゼロから考えてくれればいいから」と。放り出された感じですね(笑)。

何も分からないまま走り回り、ようやく事業の形が見えてきたのが約1年半後です。振り返ると、点を幾つもバラまいていた時期でした。運がよく、結果として幾つかの点が線となり、母体企業を支えられるぐらいの収益を出すことができるようになりました。

12〜13年ぐらい経った頃、そのオーナーから事業継承してくれないか、とお話がありました。母体の事業は赤字続きでしたから「祖業を廃して、新事業を中心に据えるのであれば」とお返事したところ、NOという答えでした。

140年以上の歴史ある会社なので、祖業はどういう形であっても残したい。個人としてはきちんと生活できるようにするから、祖業も残した形でやってくれないか、ということだったのです。

その時、僕は、それは自分の生き方に合わないな、と判断し、袂を分かって違うことをやろう、と決断しました。そして会社は後進に任せ、自分で新しく事業を立ち上げることにしました。



起業を目指し富士の麓へ、そして東京へ



—————起業を決意するに当たって、考え方にどんな変化があったのでしょうか?

それまでは、人と会って話をしているだけで事業がなんとなくいい方向に進んでいました。何か人間関係だけでトントン拍子で来てしまった気がして、「それってビジネスとしてどうなんだろう?」という思いが湧いてきて。今考えると稚拙ですが、今度は引きこもって、純粋に事業を評価してもらえるようなやり方にチャレンジしてみようと思ったのです。

そこで、父が遺した富士山麓にある別荘に転がりこみました。父が亡くなってから20年以上経っていてボロボロでしたが、家賃の必要はありません。自然の中で暮らしながら、ミニマムに事業を立ち上げるつもりでした。

しかし何をやるかは全く決めていませんでした。それでも何かをやらないと暮らしていけない、そんな中で韓国に文房具の工場を持っている友人に声をかけられたのです。モノづくりはできるけどデザインセンスがなくて商売にならない、手伝ってほしい、という話でした。そこで、僕がデザインして彼の工場で作る、韓国では彼が売って日本では僕が売る、というスキームを作ったのです。「ひとりステーショナリーメーカー」の走りでした。これも運よく大手に販路ができ軌道に乗り、穏やかに暮らしていける程度のビジネスになりました。

自然に囲まれた暮らしをはじめてから3年後、当時売上70億ぐらいのステーショナリーメーカーのオーナーから、第二創業を手伝ってほしいという話を頂きました。僕は即決して、翌週から東京に行くことにしました。



—————翌週ですか?!

そうです、そのオーナーがめちゃくちゃカッコいい雰囲気ある人だったので。僕は何をするかよりも誰とやるかに重きを置いているのだと思います。自分の事業は妻に任せ、役員として4年間その人と一緒に事業の再構築を目指しました。やりがいはありましたが責任も重く、苦しい時期でもありました。



枯渇する危機感を抱えて事業構想大学大学院へ

—————大学院に行かれたのは、その第二創業にトライしている期間ですよね。

そうです。東京でのがむしゃらな暮らしが2年になった頃、東京ではずっとアウトプットし続けたのでこのままでは枯渇してしまう、インプットしなければという気持ちが芽生えました。そんな時事業構想大学大学院の広告を見たのです。それまでは大学院に行こうなんて全く思ってもいなかったのですが、その瞬間、直感的にここへ行ってみようと決めました。

その時、僕は自分が大学中退であることをはじめて自覚し受験要件を満たせるかドキドキしましたが、結果的には入学することができました。それから2年間は、役員として第二創業をやりながら、平日夜と土日は大学院に通う生活でした。



—————「枯渇する」とは、アイディアがなかなか出てこないというような感覚ですか?

いえ、何か時代というか社会や価値観が大きく変わっていく予兆だけは強く感じていて、それまでと違うものを掘り返していかないと、未来につながらないのではという漠然とした感覚でした。僕の社会人生活は社長という立場からのスタートだったので、それまでOJTで誰かに教えてもらうような機会はなく、ビジネススキルは独学です。ビジネススクールで学んだこともありましたが、社会の価値観が大きく変わっていく中で、これまで学んだことが通用しない、誤解を恐れずに言えば、学んできたことや経験が邪魔をする時代が来るだろうと感じていました。


—————他の大学院も検討されましたか?

いえ、しなかったですし、入学にあたって特別な勉強もしませんでした。


—————ご家族への説明は?

妻は、お金に全く余裕がないのに、いきなり大学院に行くなんて言い出して最初少しは戸惑ったと思いますが、本質的に強く自立心がある人間なのですぐに「いいんじゃない」とあっさり送り出してくれました。



—————事業構想大学院は学費が高いイメージがあるのですが、奨学金などは利用されましたか?

いえ、すべて自腹です。


内省の時間を持ちたどり着いた自分の存在次元

—————感じていた危機感に対する答えは、大学院で得られましたか?最大の学びは何だったのでしょうか?

語弊があるかもしれませんが、何かスキルを学んだという実感はありません。それは僕がスキルを求めていなかったからだと思いますが。

ただ、大学院という空間に入ったことで、それまでの日常で得られなかった内省の機会を得ることができました。日常と全く異なる仲間や、制約条件の中で自分とは異なる思考、概念に触れる機会を持てた、これが一番良かったことです。



—————事業構想大学院を修了した別の方からも、内省というキーワードが出てきました。内省って、この大学院独自のポイントなのでしょうか?

実務経験のある教授が多かったので、机上の空論は許されず、事業やそもそもの前提を生々しく考える機会が得やすい大学院だとは思います。


—————知識を教えると言うよりも、教授が自分の実務経験を共有して一緒に意味付けしていくのでしょうね。これによって、自分の中で新しく芽生えた価値観はありますか?

何のために生きて何のために働いているのか、何のために自分は存在しているのか。プリミティブに存在次元を考える機会になりました。自然に今までたどってきた道筋をあらためて振り返り、

過去の中に散りばめられた未来につながる想いの原点を発掘できました。自分の過去と現在と未来をつなぐ線が引かれるきっかけになった、と思います。


—————じっくり考えるからこそ、経験を意味付けできたのですね。



多様性を肌で感じた「何もない授業」

—————印象に残っていることはありますか?

学生だけで、理想の事業についてディスカッションする授業ですね。

好きなことをしゃべっていいよ、と教授に言われて、その教授はほぼ何もしない。初めは「高い授業料を払っているのに教授は何もしない。これは一体何なんだろう?」と思っていましたが、結果的にその授業が一番印象に残っています。

同期の学生8人で、ひたすら理想の事業についてフラットな立場で話し続けました。当たり前ですが、その8人はバックグラウンドも価値感もまったく違います。痛烈に多様性を肌で感じました。この経験が、多様な人がいる多様な場所(組織、コミュニティ)のなかでどうやってパーパスやビジョン、ミッションを生々しく共有していけるのかを考えるきっかけになりました。


—————私も実は大学院で「自由にディスカッションしてください」という授業を受けたことがあって。初めはつまらなすぎて私、お菓子食べていたんですよ(笑)。オンライン授業だったので自分のその姿を動画で見た時に、これはまずい!と振り返るきっかけになり、そこから大学院が楽しくなった経験があります。



大学院ではすべての力を自分の内側に注ぐほうがいい

—————土屋さんにとって、大学院って何でしょうか?

青臭いことを語り合える仲間を得る場所であり、青臭いことを考えていた自分に立ち戻る場所だと思います。

1人でできることなんてこの世の中にはありません。だからこそ、同じ質の志をもつ仲間との協働があるのだと深く感じる場所、謙虚になる場所ですね。



—————そう考えた時、大学院をどんな人に勧めますか?

そうですね……逆にお勧めしないのは、単純にネットワークを広げたいと思っている人ですかね。

人との出会いを目標にすると、どうしてもそっちに引っ張られる。そのようなコミュニケーションは楽しいし、刺激を受けている感覚もあるから。その引っ張る力はとても大きいから、自分の内側を深く掘っていく力が弱まってしまう。少なくとも僕はそれはもったいないと思います。

自分が本当にやりたいことは、日常を生きる間にどんどんいろいろなものが積もり重なって見えにくくなっている。自分と向き合って、その積もったものを1枚ずつはがして、深掘りし耕して自分の「存在次元」にたどり着く機会にしたほうがいいと思うのです。



—————今までインタビューした方たちも、同じですね。誰かと友達になりたい・昇進したい・年収を上げたい、という動機で大学院に行っても、仕事と学びの両立や多様性の中での対話によって自己変容が起き、本当にやりたいことが見つかった、商売じゃない答えが見つかった、とおっしゃる方が多いです。違う大学院で違うことを学んでも、根本的には同じようなプロセスを経ているのだろうと思います。


生きることと働くことが重なり合うための3原則


—————大学院を修了された後、現在までの経緯を聞かせてください。

第二創業のミッションも完了させ、富士山の麓に戻り、次にやることを考えました。

振り返ると、僕はずっと「何をやるか」だけでなく「誰とやるか」を大切にしてきた。そこで、これからの人生で守るべき3つのことを決めました。まず、一緒にやる人との間に信頼関係があること。次に、僕のビジョンでもその人のビジョンでもいいのですが、ビジョンそのものに心から共感できること。最後に、これが一番難しいのですが、関与するコミュニティの空気感が心地よいこと。この3つが揃わないことはやらない、と決めました。そうでないと自分の世界と他者の世界を融合させてコンビビアルに働くことはできない、と感じたからです。

そしてもう一度ゼロに戻ってからはじめようと、これまでご縁のあった方々とも会わず、半年ほど本を読み続けるだけの閉ざした生活をしていました。そんな時、たまたま行った北軽井沢の森の中のカフェで、現在一緒に未来を創っている「きたもっく」の代表、福嶋誠さんとお会いしたのです。その出会いがきっかけとなり、今はきたもっくの事業戦略を統括し、代表と一緒に七転八倒する毎日を愉しみながら過ごしています。

その他にもいくつかご縁はありますが、先ほどの3つの条件を満たすことしかしていません。北軽井沢の森のなかで、生きることと働くことを重なり合わせながら暮らしています。



—————大学院での内省や学び、得た価値観などが現在の自分に影響していると思いますか?

大学院を経て、自分の存在次元がどこにあるかがわかったというか掘り返すことができたと思います。生きることと働くことを重ね合わせていこう、そして重なり合わせていける社会の一部になろうと思えるようになりました。

おかげさまで、今、僕は心地よい人生を歩めています。


自分を掘り起こしバイアスをゼロに近づける

—————土屋さんが著書で語られている「コンビビアル」なあり方に、大学院はどう作用するのでしょうか?ふたつの関係性のようなものについて、どう思っていらっしゃいますか?

コンビビアルとは他者に想いを馳せるということでもありますが、一方で自分を知る、自分に想いを馳せることでもあります。自分を知らない限り、自分をコンビビビアルな状態に持っていくことができないからです。

大学院は自分の心の奥底を五感を解放しながら耕して、自分に出会う機会となります。自分を掘り起こしていく時の角度、姿勢を共有できる友達や教授、言い換えれば同じ質の志をもつ仲間、と出会う機会にもなる。あらゆる人や組織、コミュニティとコンビビアルな関係になるのは難しいですが、少数でも同じ空気感をもつ人や組織、コミュニティを見つけられる可能性があると思います。

社会人大学院に行く人たちは、子どもがいる世代やもう少しで親になる可能性のある世代です。大学院で自分がどれだけ資本主義的なバイアスにとらわれているか自覚できれば、これからの子どもたちの教育に必要なことがわかってくる。社会の価値観が大きく変わっていく中で、必要なのは自ら考えて自ら行動すること、答えを見つけるのではなく問いを立てられる大人になることですよね。

次世代のためにも、それぞれにとって大学院が自分や社会のコンビビアリティを取り戻す場所になるといいな、と思います。






執筆者:八重田 暁子



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