働きながら学ぶ人を紹介する先輩インタビュー
今回は筑波大学院国際経営修士課程を修了した今西由加さんです。
「私、きっと動いてないとだめなんでしょうね」と笑う今西さん。大学卒業後はレコード会社や外資系メーカーなど様々な領域でご活躍された後、2016年に起業。並行して積極的に大学の講座や企業主催のワークショップなど「学びの場」に出ていき、主に英語を起点に研鑽を重ねます。
出産や育児などのライフイベントを経て、いまなおビジネス、大学院、そしてプロボノの活動とエネルギッシュに前に突き進む今西さんの「これまで」と「これから」について話を伺いました。
CURIO Japan株式会社 代表。大学卒業後、レコード会社にて海外渉外とディレクターを務めた後、フランス化粧品メーカーにてマーケティング/コミュニケーションに従事。その後、外資系メーカー2社にてECサイトの立ち上げやデジタルマーケティングを担当。2016年に、グローバル人材育成・グローバル人材紹介に特化したサービスを運営するCURIO Japan株式会社を設立。一般社団法人One Young World Japan理事。
卒業・修了した大学・大学院:
上智大学外国語学部英語学科卒業
筑波大学院国際経営修士課程修了
入学年月日(年齢):2020年4月1日(47歳)
卒業年月日(年齢):2022年3月31日(49歳)
●これだよ!私がやりたいことって!
——— 今日は「先輩インタビュー」初のリアル取材、対面でインタビューさせていただいてます。うれしいです。大学院の話に入る前に今西さんご自身のお話をすこしお聞きしてもよろしいですか?
もちろんです!
——— ではでは。今西さんは2020年に筑波大学院 国際経営修士過程に進学される前、2016年に起業されてますがそれまでのカンタンなご経歴から教えてください。
大学卒業後は、レコード会社に入社しました。6〜7年在籍して、海外渉外やディレクターなどを務めました。でもその当時は、育児をしながらバリバリ働くようなロールモデルになる女性が社内にいなかったんですね。今後の働き方を考えたときに少し危機感もありましたし、違う業界で通用する力を付けたかったこともあり、その後フランス系化粧品メーカーに転職しました。当時はそこにも子育てしながら働く女性はいなかったのですが……上司のサポートもあり、出産して育休も取得させてもらいました。その会社でも6年くらい働きましたね。
——— じゃあ6年くらい勤めて、次の会社に転職されたと。
そうそう。私、子どものときから同じ場所にずっといることが得意じゃなくて。小学校の6年間が同じ場所にいた最長記録なんじゃないかというくらい(笑)。そのときも、新しいことをゼロから立ち上げたい思いが湧いてきて、外資系メーカー2社でECサイトの立ち上げやデジタルマーケティングを担当しました。そういったキャリアを経たあと、2016年に「CURIO Japan株式会社」を自分で立ち上げたんです。
——— ちなみに、起業を決意した背景はどういったものでしたか?
もともと起業を目指していたわけでは全くありませんでした。ただ、会社員として働きながら、こういう疑問が湧いてくるときありませんか。「これって、本当に世の中にとっていいことなのだろうか……?」「意味はあるのだろうか……?」「自分は本当にこれがやりたかったんだっけ?」みたいな。
私はあって。そんなことを思っていたとき、ネットで「リトルパスポート」というサービスをたまたま見つけて、「これだよ!私がやりたいことって、こういうことだ!」って思ったんです。
——— へええ!それはどんなサービスなんですか?
ざっくり言うと、月に一度、自宅に世界各国のお土産が届き、それを通じて世界を学べるというサービスでした。
私はすぐに「一緒にやらない?」ってママ友に声をかけて、「リトルパスポート」を日本に広めるようなビジネスプランをつくり、「リトルパスポート」側にも連絡してみましたが、日本進出する予定がないからパートナーも求めてないというお返事だったんです。
じゃあ自分たちで「リトルパスポート」のようなサービスを始めようと可能性を探ったのですが、在庫や開発費を考えるとキャッシュが足りなくて。会社のミッションが「日本のグローバル化」なんですが、その軸をぶらさず、違うサービスでキャッシュを得ながら、ゆくゆく挑戦してみてもいいのではという話に最終的には落ち着いたんです。
——— それでCURIO Japanが現在も行っている留学生を起点にしたサービスが生まれたんですね。
そうですね。たまたま私が海外からの留学生をよく受け入れていて、これってもしかしたら何か需要があるのかもしれないと留学生のシッターサービスを最初に始めたんです。すると思いのほか人気が出て、それが今まで続いてきたというかたちです。
その他にも、日本で働きたい優秀な留学生とグローバル人材を求めている企業を繋ぐ採用支援サービスや、企業向けにグローバルマインドセット研修などを行ったり、個人レベル、企業レベルでの「日本のグローバル化」をお手伝いしています。
●英語を学ぶきっかけは、マイケル・J・フォックス
——— その後、起業して4年ほど経ったタイミングで大学院に進学するんですよね。そのお話を伺う前にもうちょっとだけ。そもそも「日本のグローバル化」という今西さんのモチベーションがどこから来ているのかなぁって。
もともと英語が好きだったんです。きっかけは、大好きだったマイケル・J・フォックスに会いたくて「英語やんなきゃ......!」って感じで始めて(笑)。洋楽や洋画など、英語が連れて行ってくれる新しい世界、知らない世界にも惹かれてたので、一生懸命英語を勉強しました。高校時代には、英会話学校に通いたいと親に言ったら「続くの?」と疑われたので、「じゃあバイトして自分で払うから」ってバイトで稼いだお金で通うくらい。
そういった流れで大学は上智大学英語学科に入りました。
——— その当時からパワフルだったんですね。ちなみに学部時代には留学もされたとか?
はい、10ヶ月間フロリダに留学をしましたね。
——— それはどんな体験でしたか?
20歳くらいと私も若かったので、楽しみ方もよく分からず慣れるのに必死。授業はディスカッションやプレゼンテーションが多く、大量の宿題に追われているうちに、留学期間が終わってしまったっていう感じでしたね。なので、もう1回海外で学びたいなっていう思いはその当時からずっとありましたね。
20代後半のころ、まだ子どもが生まれていなかったときに、今なら海外に行けるかも……と検討していたことがあったんですが、その時は見送ったんですよね。今思うとなんで見送ったのかなぁ。仕事で海外とやりとりしていたので、なんだかんだ楽しくやっていたというのもありますね。
——— では、2020年の大学院進学の際はやっぱり海外の大学を最初に探しました?
海外への関心はもちろんあったのですが、同時にそこまで海外に行くことにこだわらなくてもいいのかなと思い始めた時期でもありましたね。それまでに仕事で頻繁に行っていたのもあります。独立後は特に、たくさんの留学生と日常的に会っていたため、日本にいても海外の方と交流する刺激が得られていたのも大きいです。もちろん、海外に行くとなったら「夫や子どもはどうしよう」という現実的な問題もありましたし。
——— では進学理由は「海外行きたい」というより「学びたい」という気持ちが強かったと。
そう、一番は学びたかったんだと思う。
自分でビジネスを始めると、自分がやらなきゃいけないことが増えるじゃないですか。マーケティング、人事、会計などなど、ほぼ全て。もちろん自分で全部できる必要はないけど、ビジネスを体系的に学んでおけば、各領域のプロの方とのやりとりもスムーズにいくだろうし、誤った判断をすることも減るかなと思って、MBAを目指そうと。いわゆる好奇心のようなものですね。
——— 起業したことで学びたいことがたくさん出てきたんですね。
でも思い返してみると、もとから勉強が嫌じゃなかったかも。レコード会社時代も上智大学の社会人講座に通って、ビジネスライティングやディベートなど英語関連の授業をとってました。子供が生まれて2年くらい経って落ち着いてくると、*テンプル大学ジャパンキャンパスの講座も受講したり。私、きっと動いてないとだめなんでしょうね(笑)。
*テンプル大学ジャパンキャンパス
1982年東京に開校し、翌1983年、日本で初めてアメリカの大学教育を提供する場として、大学学部課程が誕生。大学学部課程、大学院課程及び学位取得を目的としないアカデミック・イングリッシュ・プログラム、生涯教育プログラムで学ぶ。世界約60カ国・地域からの学生と、企業内教育プログラム及び教育機関・関連団体向け英語研修プログラムの受講生を合わせ、約4000人が学ぶ。
——— 大学院進学を選択できたのは、それ以前にそうやって単発の講座で学んでいたご経験も大きいかもしれないですね。
そうかもしれないですね。
他にも、大学院を受験する年に、アスペン研究所という一般社団法人が年2回くらい開催している奨学金が出るワークショップのプログラムに参加して。千葉で3泊くらいかな、デジタル社会に関するテーマだったと記憶しているんですが、ぶ厚いテキストが事前に送られてくるのでそれを読み込んで参加したんです。これに参加してみてもし楽しめなかったら、大学院もついていけないだろうからやめようと思ってましたね。
●やってみちゃえば、工夫する
——— いろいろ出てきますね!そういった経験もあって、最終的に筑波大学院を選ばれたのはどういう理由でしたか?
英語でMBAが取得できる大学院がそもそも限られていて。歴史がある学校で学びたかったので、それを考慮すると一橋大か筑波大が候補でした。卒業生の方とお話するなかで、筑波大の方がアカデミック寄りとお聞きしたのですが、私にとってアカデミック領域は馴染みも薄く新しい挑戦でした。そこで、あえて筑波を選びました。まぁ最終的にめっちゃ苦労したんですけど(笑)。
——— 苦労したとおっしゃってくださいましたが、大学院生活についてもう少しお聞きしてみたいです。
コロナの影響もあり学校に足を運んだのは数えるくらい、ほぼオンラインで完結しました。もちろん便利でよかったのですが、MBAってグループワークが多いので、その点はオンラインだと仲間がつくりづらい難しさがありました。
1年目は履修しないといけない授業がたくさんあってひたすらこなしていけばよかったのですが、2年目になるとペーパーを書いたり自分で進めて行く必要があります。元来なまけものの私は、2年目になると「なにをするの?いつまで?」って主任教授をよく困らせてましたね(笑)。ほんと、なんとか卒業できたっていう感覚です。
——— 入学当初の目標と照らし合わせるとどうですか?
あまりにいろんな授業があるので、全部を消化できているかというと、多分できてないでしょうね。とりあえずこなせた、という感覚でしょうか。でも、頭や身体のどこかには残っていて、いつかの日か役に立つのかなと思いながら、その日を待っていますね。ちなみに、たくさん読み書きプレゼンする機会があったので、英語は明らかにめちゃくちゃ伸びました。
——— 大学院で学んだことで、経営者としてのスタンスが変わったなと感じることはありますか?
経営に直結はしないんですけど、俯瞰して見る目というんでしょうか。社会情勢や政治などの外的要因を含めてビジネスを考える目は少し磨かれた気がします。MBAではケーススタディをたくさんするし、理論をインプットしたうえでグループで話し合うと、自分には見えていなかった客観的な視点にたくさん触れるのがよかったですね。
——— なるほど。まだ卒業して間もないですが、大学院で学ぶことは今西さんにとってなんだったと思いますか?
個人的な新たな挑戦っていうか……自分をもう1回アップデートするための挑戦だったんですよね。だから、それをやりとげた達成感はありました。ほぼ毎日お風呂に入りながら「詰んだわぁ……」って思ってたんですよ(笑)。仕事は忙しい、課題は大量にある、っていう毎日で。でも、気づけばなんか終わっていくんですよね、すべて。
——— 大変に違いないけど、なんかできちゃったみたいな。
うん、仕事との両立が不安って言っててもしょうがないというか。やってみて始めてしまえば、頭使っていろいろと工夫するようになるから、興味があったらまずやってみるようにはしたいと思っていますね。嫌だったら辞めたらいいので。
●「あなたは動く歩道に乗っています」
——— 最後に、今西さんが「今後、こんなことやってみたいな」と思い描いているものを聞いてみたいです。
綺麗ごとに聞こえるかもしれないんですけど、せっかく日本を選んで来ている留学生の子たちにたくさん機会を与えたいって思います。
——— それは「日本のグローバル化」のビジョンを推し進めていくことにも繋がりますね。
そうそう。それで言うといま、次世代リーダーの育成をミッションにしている一般社団法人「One Young World Japan」の理事もしてるんです。毎年、各国持ち回りでサミットを開催しているんですね。200ヶ国から2000人ぐらい集まる大規模なサミットで、今年はマンチェスターであるんです。ダボス会議の若者版というとイメージがしやすいかもしれませんね。
——— すごい規模ですね……!
そう。私が初めて参加したのが2019年ロンドン大会。若手リーダーたちが次なるチャレンジやすでにアクションを始めていることを発表しているのを見て、会場に溢れるポジティブなエネルギーと熱量にも圧倒され、「なんだこれは!?」となったんですね。
そして同時に、会場での日本人のプレゼンスが低いことも体感したんです。そこで、日本の次世代を担う方々たちにもっと参加してもらえるようにしたいと理事を務めることになりました。プロボノとして関わっていますが、その域を500%ぐらい超えた仕事量があるんですけど(笑)。
——— (笑)。それでも関わりたい何かがあるんですね。
まさにそうなんです。サミットは18歳にならないと参加できないんですけど、高校時代から準備をするためのプログラムも始めています。先日は18歳以下がプレゼンするピッチを開催しました。国内の15〜17歳くらいの子が13名登壇しました。そこで英語で堂々とプレゼンしたり質疑応答に応えたりするのを見て、メンターとして彼ら彼女らと関わってきたのでその変化、成長に驚かされっぱなしでした。
一緒にイベントをつくった人は「日本の未来は明るいよね。それしか感じなかった」って話していましたし、普段はストレートに褒めないうちの夫も「この会場にいると、浄化されるわ」っていうくらい(笑)、本当に素晴らしい場だったんですね。日本でやっただけでこうなので、こういう人たちが世界から2000人集まったら、世界は良くなる気しかしないというか。
——— 素晴らしいです。
子どもたちのプレゼンを聞いた大人たちが、彼らと意見交換をしてくれたり、「いつでも必要な人に繋げるから」って子どもたちに言ってくれたりしていて。自分で行動して、発信したら、そういうふうに助けてくれる人がいることを知る経験ってめちゃくちゃ大事だと思うんですね。私も若い人を助けられる1人になりたいし、そういう場も提供したいと思います。
マンチェスター大会には過去最多108人、日本から行くんですよ。「One Young World Japan」はあくまで1つのプラットフォームでしかないけど、応援しあえるコミュニティって貴重だと思います。大人にとっても、18歳以下にとっても。そういうコミュニティをつくっていきたいですし、なんか最近はそっちが楽しいですね。
——— 事業でも、こういったプロボノの活動でも邁進されているんですね。インタビューを振り返ってみても、今西さんはずっと活発に動いてて本当にすごいです……!
以前、いわゆる「見える人」に私のこと見てもらったことがあるんです。そしたら、「あなたは『動く歩道』に乗っていると思ってください」って言われたんです(笑)。