働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は、金城学院大学大学院でキャリア自律の研究をされた、柴田朋子さんです。
とらばーゆ編集長や公務員での経験、自身のキャリアの変換点を経て、女性のキャリアをライフテーマに掲げる。人生に苦しくなったら、さまざまなキャリア理論を拠り所に「これでいいのだ」と今を肯定しようと語る柴田さん。編集者、公務員、キャリアコンサルタント。たくさんの人のキャリアを、複数の視点から見つめてきたからこそわかる、「大人が学ぶこと」について聞きました。
1984年、株式会社リクルートに入社。求人情報誌の編集者として16年勤務。その後公教育と地域課題への関心から、2000年4月愛知県瀬戸市役所に転職。広報、国際交流、生涯学習、税務、産業振興、教育などを担当。2013年4月に独立開業。現在は、キャリアデザイン、コミュニケーション力向上、管理職養成、部下育成などの企業・自治体職員研修講師、キャリア教育講師(小学生~大学生・保護者向け)、女性支援、創業支援、個人相談(キャリアコンサルティング)など「一人一人が自分らしく自立して生きる」ことを幅広くサポートしている。
金城学院大学大学院人間生活学研究科人間発達学専攻
入学年月日:2013年4月
卒業年月日:2015年3月
●ひょんなことからリクルート入社、挫折と転機
————まず柴田さんがどんな方か、読む人に知ってもらいたいと思うのですが、ブログに「失恋をきっかけにキャリアウーマンを目指した」という経緯が書かれていて。
よく読んでくれてるなあ。そうです、もう恋なんかしない!みたいな(笑)。4年制大学に行った女性はお嫁に行けないと言われていた時代で、私も親にずっと洗脳されていて「恋愛=結婚=主婦」というストーリーにはまっていたんですよね。
————それが失恋で方向転換し、リクルートに。
もう40年ぐらい前ですからリクルートはまだ無名企業でしたけど、大学のサークルの先輩からリクルートに向いているんじゃないか、と言われまして。その後たまたま、今で言うキャリアセンターでリクルートがアルバイトを募集しているのを見つけて、時給がいいので行ってみたら次も来ませんか、その次も来ませんか、と続けて声がかかって。実は後で知ったんですが、このアルバイトがリクルーティングだった。当時リクルートは女性をあまり採用していなくて、主要な名古屋の大学の元気そうな女子を集めて、バイトという名目でリクルーティングしていたんです。
————バイトからそのまま入社した、というわけではないんですね。
3回目の時、いつも顔を合わせる子に「あなたもリクルート受けるの?」と聞かれて驚いたんですけど、つまりバイト自体が面接だったというわけです。そうだったのか、リクルートで働くのもいいかもしれないなと思って決めました。
————最初は営業職でしたよね?
そうです。当時女性の営業職がほとんどいなくて、役員面接で「営業やりたい」と言ったら褒められて。でも何をやるか全然わかっていなかった。いざ始まったらこれが過酷で…新人の仕事は大体飛び込み営業なんですが、結果がまったく出なくてプライドはズダボロ。新人が朝から晩まで同じビルに次々に飛び込むから、私が行くと「お前は今日5人目だ」と言われたりして。考えずに動くことができなかったので、こんなの意味がない、相手にも迷惑だ、など頭の中で理屈を並べて何もできない自分に晒された感じです。2年間そんな状態だったので、遂に編集へ異動希望を出しました。辞めるか異動希望を出すかという選択肢しかなかったんです。病みかけていたんだと思います。ダメ元だったのに運よく名古屋の編集でひとり増員するということで、入れてもらえました。
●産後8週で現場復帰、出産後4ヶ月で編集チーフに
————ここから「とらばーゆ」編集チーフへの道が始まるんですね。
その頃はちょうど、リクルートの紙媒体がどんどん拡大していく時期だったんです。バブルで会社自体もガンガン業績が上がっていき、メディアも大きくリニューアルしたり、隔週発行を週刊にしたり。編集の仕事が増えて仕事をやらせてもらえる機会が多くなる、時代の波のおかげで経験が増える、という感じでした。それに、他に人がいないからやらざるを得なかった。当時のリクルートは今のスタートアップ企業みたいな、若い会社でしたから。女性では私が27歳で一番年上だったし、男性の先輩も課長クラスで32歳ぐらい。立場が人を育てると言いますけど、自分の中で「そんなにできてないのに“できる人風”になってるなあ」という感覚はありました。
————その真っ只中でのライフイベント。リクルート名古屋で初めての産休取得者とか。
そうです。結婚して29歳の年の5月に出産しました。当時は育休がなくて、産休だけなんですよ。産前6週間・産後8週間取得できたところ、元気で大丈夫だったので産前は4週間だけ休んで。職場に妊婦がいるなんて初めてだったので、周りが面白がって「ライブ出産してくれ」なんて冗談で言われていました。産休が明けて復帰して「とらばーゆ」プロジェクトが始まったのは9月からです。子供がまだ4ヶ月ですから、メチャクチャですよね(笑)。「働き続ける女性のための雑誌の編集リーダーに出産したばかりの女性を起用して、象徴として使おう」という、当時の上司のすばらしくも悪どい戦略(笑)だったわけです。地元の新聞や雑誌にずいぶん取り上げられました。インタビューに出ていても子育てで一杯一杯でしたから、それほど仕事はできませんでしたが。
————愛知県は豊かな地域なのであまり女性が前に出てこない、という話も興味深かったです。
儲かっている製造業の会社が多いから、豊かな家が多いんですよね。例えばトヨタ自動車に勤める夫がいたら妻は働かない、働かなくてもいいよという空気がありました。
●パートナーの急逝で女性のキャリアがライフテーマに
————この後パートナーが急逝されて…印象的なのが「困窮する母子家庭と紙一重だった」という言葉です。
たまたまギリギリ紙一重で仕事を辞める決断ができなかっただけなんですよね。崇高な目的意識があったわけではなく、一人目の子供ができて産休を取ったのも、産んだら辞めなきゃいけないというのも何だかなあ、と思った程度でした。周りもまさか辞めないよね、という雰囲気だったし自分でも辞めるイメージが湧かなかった。産休中に私は育児に向いてないと痛感したし、保育園があるからやっていけると感じてもいました。ただ、上司や周りに求められる役割は一生懸命こなしていたものの、ちゃんと仕事できていないという思いは湧いていて。二人目を妊娠した時に一度辞めて小休止してもいいか、好きなことを仕事にして保育園をそのまま続けられないか、など考えたこともあったんです。でも仕事は面白いし職場の人間関係も良かったので、結局辞めずにいました。
————本当に重い紙一重だったんですね。
そうですね、夫が亡くなっても生きていく上ですぐに経済的な不安がない、というのがどれほど大きいことか痛感しました。
●キャリア教育に疑問を感じ、公務員に
————そこで女性が働き続けるということがライフテーマになり、学生のキャリアに向き合っていくんですね。
当時女子大や大学でキャリアガイダンスで講演したことが何度もあったんですが、学生と話をしていると職業観に守りの姿勢が強かったりまったく自分で考えていなかったり、なぜこうなるんだろう?と思ったんですよね。大学生では遅い、小中学校のうちに社会との接点を持ったり生きていくことを考える機会があったりした方がいいんじゃないの?と。だから小中学校の教育に関われないだろうか、と考えたわけです。
————そこで公務員!
ちょうど瀬戸市役所で、中途採用で異能人材を募集しているのを知っていたんです。ふと小中学生に関わりたいと思った時に、それは地方公務員の仕事だ、そうか、アレだ!と頭の中でつながって受けてみよう、と。ところが学歴年齢不問のはずだったのにその年から急に39歳までの年齢制限ができて、私は37歳数ヶ月、また紙一重のギリギリでした(笑)。
————ものすごい倍率だったと聞いています。
でも公務員だから受けてみた、という感じの人も多かったですよ。こちらは転職サポートが本業ですから。面接でも負ける気がしませんでした(笑)。入るところまではうまく行きました。
●キャリア教育に疑問を感じ、公務員に
————リクルートで16年の後、ここから役所で13年ですね。
そうです、役所ではキャリアも税務もやりました。新しいことを始めたり外の人と何かやったり、という立ち上げ系の部署を2年毎に合計6部署、転々としていました。そういうことが得意な人材だと思われていたんでしょうね。
————その間に、ご自身で役所内のキャリア勉強会を立ち上げたんですね。
部署を次々にローテする同僚たちが疲弊していくのを見ていると、地域を良くするために働いている人が元気でないと地域は良くならないんじゃないか、と思うようになりましたし、自分もキャリアの迷子になっていましたし。私は何がしたいんだっけ?と考えた時に、キャリアについてはずっと興味があるんだということに気づいたんです。そこで、キャリアカウンセラーの養成講座に行きました。そうしたらインプットしたことをアウトプットしたくなって、人事に「私が無料で研修企画立てますよ」と売り込みました。本来は役所って職務以外のことはあまりやってはいけないんですけどね。で、その時企画のヒントが欲しくてある大学の先生に相談に行ったんです。
————すごい行動力…
実はその先生のことは、その1年ぐらい前に女性向けのキャリアの公開セミナーがきっかけで知っていたんです。先生がある有名人の女性へのインタビューでキャリアストーリーをキャリア理論で解説していて、これがめちゃくちゃ面白くて、私この先生と友達になりたい!と思って。その時ちょうど同期の女性が役所の中で男女共同参画プランを作っていて、その計画を審議する外部委員会の座長を探していたんです。彼女に誰かいい先生知らない?って聞かれて「すごくいい先生知ってる、めっちゃいいから絶対この先生連れてきて、私にも紹介して!」って頼んだんですよ。私が直接連絡してもダメだけど、市役所からの審議員の依頼だったら連絡取れるだろうと思って。同期がちゃんと動いて先生が引き受けてくださって、その審議会の初回に会場で出待ちして、出てきた瞬間に「実は私、先生のファンだったんです」って名刺交換して。先生が「あらそうなの?じゃあ飲みに行きましょうか?」って言ってくれて仲良くなった、という経緯です。ナンパだねって、後で言われましたけど(笑)。
●「論文?!私が?!大学院?!」
————勉強会の相談から大学院につながったんですよね。
そう、先生にメールで「今度公務員のキャリアの勉強会をやるんですけどアドバイスもらえませんか?」と連絡して訪ねたら、先生が「公務員ならこういう理論を使ったらどうか」と色々教えてくれたんです。それでイマジネーションがわいてプログラムを作って、公務員のキャリアの勉強会をスタートしました。先生のアドバイスがあったから、エビデンスを持って話せたんですよね。公務員って真面目な人が多いから、理論の後ろ盾がある監修付きで話せたのが自分の中でも気持ち良かった。その勉強会はかなり回数を重ねて、あちこちの公務員が盛り上がってアンケートの回答ももらえて。で、終了したところで先生に報告に行ったんです。「おかげ様で勉強会はうまくいきました。皆さんアンケートも色々書いてくれました。ありがとうございました」と言ったら「柴田さん、それはいつ論文にするの?」って聞かれたんです。
————いやー、先生もきっと狙ってたんですね。
そう、狙ってたと思います。えっ論文?!私が?!論文って何ですか?!と聞いたら「実践が終わったらあとは論文書くだけじゃない、やらないのはもったいない。大学院にいらっしゃい」って言われたんですよ。
————実践でデータが溜まってるわけだから、あとは分析するだけ...その分析が大変なわけですが笑
そうですね、この時初めて、私が大学院に行ってもいいんだ、と思ったわけです。
●「大学院は教えてもらう場ではない」という衝撃
————大学院に行こうなんて、普通あまり考えないですよね。
私は文学部卒で心理学は専門じゃないですよ、英語できませんし大学院なんて行けるんですか?って先生に聞いたら大丈夫大丈夫、と大丈夫しか言わない(笑)。9月ぐらいに誘われて1月にはもう試験です。一応少し勉強して、研究計画書を書かなければいけないのでググって書いて。そこで初めてわかったのは、大学院は研究する場で教えてもらう場ではない、ということでした。本に書いていないことを先生が教えてくれる場だと思っていたのに。
————お子さんはその頃もう成人ですね。
上の子が大学卒業して就職した年で、下が高校卒業した年です。子供たちにお母さんも市役所卒業します!と言って、3人全員卒業です。卒業後は市役所を辞めて独立してキャリアの仕事をやる、と決めていたんですがあまり具体的ではなく、大学院が優先でした。社会人大学院ではなく平日の日中も授業がある普通の大学院でしたから、専念して学びたかったんです。
————先生からのお誘いですから他の大学院は検討しなかったんですよね?
いえ、実は税務課でキャリアの迷子になっていた頃、母校の南山大学の大学院をちょっと調べました。人間関係トレーニングとか人材開発がテーマで友達から面白いと聞いていたんですけど、英語が大変そうだし少し違うな、と思って逃げちゃいました。
●実務に直結しない、効率を重視しない学びが面白い
————研究内容は公務員のキャリアについてですか?
そうです、「ナラティブアプローチが地方公務員のキャリア自律に果たす効果について」という研究テーマで、公務員のキャリアデザインにナラティブアプローチが有効である・構成主義的なカウンセリングが公務員のキャリアデザインに有効である、というような小っ恥ずかしいテーマです。
———振り返って、大学院で一番の学びは何だったんでしょうか?
私は仕事を並行してできるように、授業を取る曜日を固めていましたから、取れる科目に制約が出てくるんですよね。キャリア関連ではない、どっぷり臨床系の心理学みたいな科目も取っていたんです。その中に色々な精神障害について勉強する授業があって、先生がものすごく熱くて面白くて。年下の女性の先生だったんですが、宿題も結構大変で。調べながら宿題をやってる時に「ああ、これが大学院のいいところだな」と思ったんですよね。
ビジネス社会にいると効率よく学ぶ・自分の興味から枝葉を広げて体系的に学ぶ・実務で使えることを学ぶ、という発想になっていたけど、全く関係ない学問にポンと入れられて強制的に学んで、先生の面白い語りによって興味が湧いて、まったく違うところが刺激される。ビジネスの世界で役立つ学びを求めていたら、出会えない学びですよね。実は後になってキャリアで発達に特性のある人に出会った時に「あの時あの先生こうやってたな、あのテキストどこ行ったかな」と資料を探してきて、そうそう、こういう方法があるんだ、ということもありますし。
それに、ちょっと薄っぺらい本を読むと、これは個人の意見に過ぎないな、参考文献もしっかり見ていないな、と思います。知識の使い方のルールを身につけたということでしょうか。心理学の世界では異なる両極の意見があることがわかったのも大きい。「子供が何才までに家庭でこうやって育つことが大事だ」と言ってる派と「そんなこと関係なく社会に出てからのつながりの方が大事だ」と言ってる派があって、両方にちゃんと論文や学会があって、バチバチ戦っている。絶対正義が決まってない、ということもわかりました。
●知的な遊びに付き合ってくれた先生たちに感謝
———理論には両極端なものも多いですよね。
ゼミで先生が紹介してくれる理論に、私が実践者として先生に意見を言ったこともあります。「こういうのって大人になったら実際はこうじゃないですか、論理的に整合性あるんですか?」と聞くと先生がニヤニヤして、喜んで話し出す。「ああ、じゃあちょうどいい、皆さんこれ宿題にしましょう」とか。ちょうどいいこと言ってくれたな柴田さん、みたいに先生方は面白がって知的な遊びに付き合ってくれましたね。
————知的な遊びっていいですね。2年間どっぷり学んでみて、独立された後の仕事への影響や変化はありましたか?
先生に機会をいただいて、5〜6 年非常勤として週1コマの授業をやったんです。そんなことは全く想定してなかったですし、非常勤の仕事ってほぼボランティアでお金にはならないんですけど、学生に教えるということは自分が学ぶことと同じなので良い機会でした。それに非常勤講師をやっているとプロフィールに書くと、世の中の人に「大学の先生もやられてるんですね」と言われて仕事につながるとかね。
————ハクがつく、ということでしょうか。
そうですね、特に私は役所の仕事が多くて、行政の人は特に非常勤を大したものだと勘違いしているのでメリットがありますね。先生も「非常勤をやった方が柴田さんの仕事に役に立つんじゃない? 」って言うんです。社会ってそういうふうに人を見ているんだな、ということもわかって勉強になりました。
●キャリアを柔軟に考えるために理論を使う
————学んだことや仕事を通して、日本人のキャリアへの向き合い方についての考え方に変わった点はありますか?
今も先生が最近発表された研究など、色々と教えてくださるんです。以前はこれが絶対とされていたものが、新しい論文によってどんどん覆されている。大学院で学ぶ経験をしていなかったら一度「これが正解」とされた場所に留まっていただろうと思うんですが、もっと自由に考えればいい、とわかりましたね。苦しくなったら、自分が持っている思想じゃない思想を探しに行けばいい。キャリアの世界には、色々な理論家がたくさんいる。最近は大きな傾向として変化する力、新しい変化に適応する力が大切だという話が主流です。そう考えると、日本人のキャリア観はとても古めかしい。今でも一貫性のあるキャリアとか、この道一筋が正義と思っている人が多い。でも、一貫性なんて自分が一貫していると思えるストーリーを、適切な支援者と一緒に自分で作ればいいだけの話です。バカボンのパパみたいに「これでいいのだ!」と思えればいい。もっと柔軟に考えれば良いと思っています。
————確かにキャリアの理論ももっと民主化され、皆が触れられるようになるといいですよね。
キャリアコンサルタント自身がまだ未熟で、自分のキャリア観が狭い人が多いと思うんです。「キャリアコンサルタントの資格を取ったからキャリアコンサルティングをしなければ」という思いに捉われて、痩せられないエステティシャンみたいになっているんですね。業界全体の課題だと思います。
●興味分野を研究すればキャリアに活かせる
————最後に、どんな人に大学院をお勧めしますか?
誰にでも開かれている場ですが研究の場なので、ぼんやりとでも良いのですが明らかにしたいことや課題を持っている人が良いでしょうね。先生の研究分野を見て行きたい大学院を選ぶのも大切です。学びたいことを思いきり勉強すれば、違う視野が開けます。
————自分が興味があって面白いなと思ってることが研究対象だ、と気づかないこともありますよね。
地域づくりや都市計画に興味がある友人に、大学院でそういう領域を学べるよ、研究している先生がいるよ、と話したことがあるんです。そうしたら結局、本人が一生懸命調べて大学院に行った。あなたが持っている疑問や課題は勉強できる、研究できる、と少しアテンドしてあげれば大学院につながる人はいますよね。私はキャリア支援を仕事にしている立場なので、背中を押してあげたいと思っています。