働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は、韓国のソウル大学に語学留学した梨本真柱(なしもと まき)さんです。大学時に約1年間ニュージーランドに語学留学した後、大阪のPR企業に1年間勤務。さらにお母様の勧めで韓国語を学ぶために仕事を辞め、韓国へ留学しました。
三カ国語を使って仕事や育児を楽しんでいるマキさん。さまざまな場所で暮らしながら、どんな気づきがあったのか、お話を伺いました。
2010年に龍谷大学社会学部コミュニティマネジメント学科を卒業。PR企業に就職し、関西でテレビ番組を担当。
自身の生い立ちを振り返り、ソウル大学付属の語学学校に2年間留学。その後日本に帰国し、英語・韓国語・日本語のトリリンガルを活かし大韓航空に就職。現在は一児の母として、お母さん向け英語絵本の勉強会ボランティアを担っている。
大学:ソウル大学 韓国語教育センター
入学年月日(年齢):2011年12月(24歳)
卒業年月日(年齢):2013年11月(26歳)
●「学びたいならいま行くべき」という母の言葉で留学を決意
————まずは、学部時代のニュージーランドへの語学留学について教えていただけますか?
大学生4年生の前期に卒業に必要な単位はすべて取ってしまい、後期はゼミにオンラインで参加させてもらいながら、ニュージーランドに1年1ヶ月語学留学しました。相談したら、教授も快くOKしてくれて。修論もあっちで書いたし、卒業式にも出てないんですよね笑。
————すごい、そんなパターンの語学留学もあるんですね。
ニュージーランドへの留学が、のちのち仕事を辞めて韓国の大学へ留学するきっかけにもなりました。21年間「梨本まき」で生きてきたけれど、このままでいいんだろうか?と不安を感じたんです。というのも、私は在日韓国人の4世で、私だけでなく父も母も日本生まれの日本育ちなので、みんな韓国語を話せないんです。日本人として育ってるんですよね。でも日本の外に出ると、そうもいかない。パスポートに書いてある名前は「ベジンジュ」なんです。
————海外に出て初めて自分のルーツを目の当たりにする経験をされたんですね。
そうですね、一個面白い経験をしました。語学学校に入学する時に、新メンバーの名前が張り出されるんですが、そこには「ベジンジュ」と書かれていた。でも実際に入学した私は「マキ」って呼んでねと自己紹介したんです。先に入学していた子達に、韓国人がくると思ってたからびっくりしたよ、と言われました。
「そうか私はやっぱり韓国人なんだ」とこの時に強く感じたんです。海外で何かあったときに私を助けてくれるのは韓国領事館だけど、私は韓国語を話せない。このままでいいのかな?と不安になりました。
————どきっとする経験ですね....。そこから直接韓国に行くのではなく、一度ご就職されたんですね。
はい、いずれ韓国に行きたいとは思いながらも、大学でメディアを専攻していたので、PR企業に就職しました。それが、めちゃくちゃ大変で。長時間労働で体力的に無理だと思ったし、私の担当している番組になぜか次々と悪い出来事が起きるんです。英語も全く活かせれなかったし、自分にはこの仕事は向いてないと思いました。
そんなときに母が「韓国に行ってきたら?」と言ってくれて。私はいったん就職したら3年ぐらいはがんばらないとと思ってたんですけど、思い切って留学することにしました。
————お母様はどうしてそんなふうに言ってくれたんでしょうね。
母は型にはまっていない人なので、「いま行きたいと思ってるなら、いま行けばいいじゃない」と。唯一、祖父だけが韓国語が話せて、孫たちにも韓国語を勉強してもらいたいと思っていたみたいなので、いいチャンスかなと思いました。あと、昔の韓国は金利がすごく高くて、銀行に預けておくだけでお金が増えたんですよね。祖父も高齢でもう韓国に行く事はないし、祖父の貯金を韓国での生活費に当てていいよって言ってくれて、サポートもあったので留学に踏み切りました。学費はニュージーランド留学と比べてすごく安かったので、1年間で貯めた貯金で賄えました。
●どうせ行くならソウル大学!と決めて2年で韓国語をマスター
————韓国での進学先はどう決めたんですか?
ニュージーランドでは私立の語学学校だったので、韓国では大学付属の語学学校に行こうと思っていました。韓国で有名な大学といえば、ソウル大学、延世大学、高麗大学。行くなら一番いいところに行こうと思ったし、親戚にソウル大学の教授がいたこともあって、ソウル大学に決めました。
————入学するのに受験が必要でしたか?
大学付属なので最終学歴の成績証明書と自己紹介書や学習計画書などを英語か韓国語かで書く必要がありました。韓国語を学んで何をしたいのかを書くんですけど、そんなに難しくはないと思います。私は在日韓国人なので、将来的に韓国語を使った仕事に就きたい、ニュージーランドで自分は日本人ではなく韓国人なんだと気づいたことも書きましたね。
————語学学校は2年ですよね、そんな短期間で韓国語をマスターするなんてすごい!
はい。1級から6級まであって、1つの級が10週間で約3ヶ月。私はさらに6級の上の研究班まで進んだので、トータル2年行きました。でも、日本人ならできますよ。語順も日本語と同じですし、1年半くらいでほぼ問題なくできるようになります。文化体験の授業もあって、伝統音楽を体験したり、みんなでキンパを作ったり。現地の教会で日本語を教えるボランティアもしていました。
————授業だけではなくて、文化にも触れられるんですね。授業は、いわゆる先生が講義をして、それを受けるというスタイルですか?
はい。1つのクラスに曜日ごとに異なる先生が3人くらいついていました。授業は半日で、午前クラスと午後クラスに分かれています。私は午前クラスで、午後は宿題をしていました。
1級ごとに中間•期末と2回テストがあって、各級で90点以上を取ると6級で奨学金が出るんです。私もがんばった甲斐あって6級を無料で受けられました。大学ごとに語学学校にも特徴があるので、自分が何を重視するのかを考えて学校選びをするのがいいと思います。
※現在、成績優秀者が貰える奨学金が半額になっている
————忙しそう・・・遊ぶ時間はありました?
授業期間中はあまり遠くまで遊びに行くことはありませんでしたね。ソウル大学はちょっと不便なところにあって最寄駅まで遠いし、近くに安くて美味しい店がたくさんあるので、あまり外には出ませんでした。
————留学して何か気づいたことは?
私が留学した2011年の12月頃は、ちょうど日韓情勢がすごく悪い時期だったんですね。日本人が観光で行くのも危ないんじゃないか?と言われるくらいだったんですけど、実際はそんなことはなくて、本当に温かく接してもらって。日本で報道されていることと実際のギャップに驚きました。
————一番思い出に残っていることは何ですか?
ゼロからのスタートで韓国語をマスターできたこと。ニュージーランドへは中高で英語を学んでから行きましたけど、韓国へは何にもわからないまま行ったんですね。アンニョンハセヨしか知らないのに、いきなり韓国語で韓国語を学ぶなんて本当にできるのか?と思ってました。でも、2年でマスターできたんですから、人間ってすごいですよね。
————全く知見のない言語を母国語を介さずに学ぶのって、どうやって勉強していったんですか?
初級のテキストには絵もついているのでなんとなく意味はわかりましたし、先生が英語を話せたので、どうしてもわからないときは英語で質問しました。
————クラスメイトはどこから来ていましたか?
日本人は少なかったですね。日本人には延世大学が人気があるみたいです。ソウル大学は中国人が多かったかな。留学したときにいまの夫に出会ったんですが、夫はオーストラリアからの交換留学生として来ていました。K-POPが好きとか韓流が好きだから言葉がわかるようになりたいとか、いろんな人が集まっていました。留学すると世界が広がりますよ。年齢層もいろいろだし、バックグラウンドもさまざま。世界中に友達ができました。
————語学学校を2年終えたあとは、韓国で就職はせずに日本に帰国されたんですか?
はい。ちょうどそのとき大韓航空の大阪市内支店が求人を出していたので、韓国から履歴書を送り、帰国して面接を受けて採用されました。大韓航空では、日本語も英語も韓国語も、3ヶ国語をフルで使える環境だったのですごく楽しかったですね。語学は使わないと衰えてきちゃいますから。
————まきさんにぴったりの環境ですね!楽しかったのは語学が使えたから?それともアイデンティティを生かせたから?
どっちもあると思います。語学のスキルは本当にフルに使えました。会社では「梨本まき」ではなく「ベジンジュ」として働いていて、韓国人スタッフとは韓国語、日本人スタッフとは日本語で話して、でもチャットは全部英語で打ち込む、みたいな。自分が使えるものを全て使って働くのは刺激的でした。
あとは、職場の人に恵まれていたってことも、楽しい理由の一つでした。直属の上司が「自分もこんなふうになりたい」と思えるほどとても良い人で。結婚してオーストラリアに行くために退職することになったときも、ギリギリまで働いていました。
————まきさんにとって、本当にいろいろな意味で良い職場だったんですね。
そう思います。今はフルタイムでの仕事はしていませんが、市のボランティア活動の一環として2週間に一回お母さん向けに英語の絵本の勉強会を開いています!あとzoomでママサロンみたいな会もできたらいいなぁと役所に提案中です。当時の経験が今のライフワークに繋がっていますね。
●柔軟な働き方を認めて学ぶ人を応援する社会になってほしい
————本当にグローバルな経験をされてきていますね。マキさんは、お子さんもいらっしゃるとのことでしたが、語学の面では、どんなふうに育てているんですか?
普段は英語と日本語で話しかけています。1歳9ヶ月でまだあまりしゃべりはしないですけど、2ヶ国語を理解はしてるようです。夫はさらに語学が堪能で、英語のほかに中国語、日本語、韓国語、タイ語ができて、中国語を教えたいと言っています。国籍はオーストラリアと韓国2つ持っていて、日本の永住権も持っています。1つにこだわらないで、自分の力を発揮してくれればと思いますね。
————旦那様のバックグラウンドも多彩ですよね。
そうですね。大学在学中に交換留学で韓国に行って、大学卒業後はオーストラリアの大使館や香港のオーストラリア大使館でインターンシップをしていました。その後オーストラリアへ帰国し大学院へ進んでインフォメーションシステムを専攻して、今は外資系の会社でデータアナリストとして働いています。
今の生活では勉強した韓国語は全く使えていませんが、あの時韓国に留学していなければ旦那に出会うこともなかったし、旦那に出会わなければ娘も産まれてこなかったし、あの時の決断が人生のターニングポイントで、当時の自分グッジョブ!って思っています。
————旦那様も色々なご経験をされていて、面白いですね!オーストラリアでは、働きながら大学院に通う人は多いですか?
たくさんいます。進学のためにフルタイムから契約社員に転換して仕事を続ける人も少なくありません。オーストラリアでは正社員も契約社員も契約としては同等で、契約社員になったら福利厚生はなくなる代わりに時給が上がるので、むしろ稼げます。
————とてもいい環境・文化ですね!日本ではまだまだ受け入れられにくいかもしれないけど...
でしょう?あと、会社に在籍したままで1年間長期休暇を取ることもできます。夫も実際に取得しました。人材を新たに雇うのは大変だし、リフレッシュして戻ってきてくれたら会社にとっても良いですから。勉強したい人がいるなら、働く仕組みを変えれば良い。会社が変わっていけば、社会人がもっと勉強しやすくなると思います。
————仕事だけではなく、学びや子育てなども広くキャリアと捉えて、行き来できる世の中にして行きたいですね。マキさんありがとうございました!