難民研究でわかった世界を良くするシンプルな方法 国際大学大学院

働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は、国際大学大学院 国際関係学研究科を修了された檜垣 章代さんです。

マラウイ、アメリカ、メキシコ、フィリピン、イタリア、インド、ミャンマーなど異なる文化の中で自己表現する難しさ、今の日本とはかけ離れた過酷な環境で暮らす人たちの研究を通じて学んだこと。まっすぐな言葉で語ってくださいました。国境とか人種とか、海外とか日本とか、従来の概念を吹き飛ばす檜垣さんの「置かれた場所で咲く」という言葉の深さは、受け止める私たちの胸にずしん、と響きます。

 

檜垣 章代さん

1983年生まれ。大学3年時に自由科目「平和研究」に興味を持ち、4年生まで聴講し続ける。「平和学」を学ぶために、大学院ストレートに行きたかったが、断念して、保険業界→複数の援助団体を経て、大学卒業11年後に日本で国際平和学の修士号を取得。卒業後、コーディネーター的なポジションで、3つの業界を経たのち、「女性の経済的自立」というビジョンを立てる。現在は個人事業主として地方移住し、インターネットを通して女性向けのビジネスをサポートしている。大学院に愛着を感じすぎて、現在は同窓会の理事も務める。

卒業・修了した大学・大学院:国際大学大学院
入学年月(年齢):2015年10月1日(32歳)
修了年月(年齢):2017年6月27日(33歳)

論文要約:人道研究ジャーナル 7号 (PDF61枚目〜64枚目)

https://www.jrc.ac.jp/application/files/6516/0739/1985/journal_vol7.pdf

紹介記事:「愛する人と、豊かで、自由な人生を - 高橋ナナ official blog」

https://ameblo.jp/at-last/entry-12748456976.html

英語の壁にぶち当たった「Up with People」の半年間

—————大学を卒業してまず保険会社に入社されたということですが、この時点でもう既に平和研究には興味を持ってらっしゃったんですよね?その上で、なぜ入社されたんでしょうか。

お金がなかったからです(笑)。公職の国際関係の仕事をする人たちはかなり高学歴なので、いつかは大学院に行きたいと思っていました。ただ「今はお金がないんだったら、社会経験を積んでおいたほうがいいよ」という大人のアドバイスがあり、それに乗って一番稼ぎのいい金融機関に就職したんです。

—————お金がないとできないことはたくさんあります!大事なことですよね。マラウイにボランティアに行かれたのは、保険会社に勤務中の頃ですか?

いえ、もっと世界を見たいっていう気持ちがあって、東日本大震災の年の4月に会社を辞めることは決まっていたんです。7月からグローバル教育のプログラムでアメリカに半年間行くことになっていたので、それまで3ヶ月どうしようと思っていた時に、マラウイでボランティア募集してるから行ってきたら?と声をかけていただいて。マラウイに行き、アフリカからアメリカに飛んだ感じですね。

—————マラウイではどんなボランティア活動をされていたんですか?

最貧層の農村地域に、イギリスの人たちが立ち上げたコミュニティセンターのような場所があり、そこで活動していました。海外青年協力隊の方たちのように自分のプロジェクト持って活動するわけではないので、進行中のプロジェクトにアサインされるんです。私は農業など人手が必要な分野で3ヶ月間、朝から日が落ちるまで活動していました。現地の人と一緒に土を耕した病院の書類を整理したり、毎日色々と手伝っていましたね。

—————その後、元々行く予定だったアメリカに?

はい、グローバル人材教育活動「Up with People」(世界各国からの参加者と一緒に世界を巡り、ホームステイやボランティア活動で各地の文化を学びながらダンス・歌によるショーを行う教育プログラム)に参加しました。まず簡単なインタビューで100人の若者が選抜されて、1ヶ月間コロラド州でショーのトレーニングをして、私が参加した時は5ヶ月間でアメリカやメキシコ、フィリピンの20都市を回ったんです。1週間単位で都市を移動するので、ホームステイしてボランティアしながら土曜日にショー、日曜日ホストファミリーと過ごして月曜日に次の都市へ移動、という生活をしていました。

—————これは、お金を払って参加するプログラムなんですよね?

そうです。歌って踊れるスーパーヒーローみたいなキューバ人の男の子も、路上パフォーマンスで参加費を稼いで参加していました。日本人の女性も、私を含めて4人参加していました。私は自腹でしたけど、他の2人は日本の団体から奨学金をもらって来ていました。

—————これは、リーダーシップや異文化コミュニケーションを学ぶプログラムなんですか?

そうですね。多様性も個性もある100人が半年間一緒に過ごして1週間ごとに20都市を移動するので、本当に色々なことが起きるんですよ。基本毎日、ワークショップやディスカッションしていました。教育担当のコーディネーターもいてコミュニケーションノウハウを学ぶんですけど、問題が起きて集合がかかることもありました。

—————いやぁ、大変そうだなぁ…

英語を喋れても大変なんですけど、私は大学で英語を学んでいたのにその時はあまり喋れなかったので、もっと大変でしたね。「あなたが発言しないと、あなたがどういう人間かわからないのよ」と言われたり、そういう内容の手紙を、グループ13人のうち8人からもらったり。日本で英語ができても留学したら全然話せなかった、という話をよく聞きますけど、まさにその洗礼を浴びました。この悔しさと情けなさがあったから今でも英語の勉強は続けていますし、国際大学にこだわったんですよね。

—————その後日本に戻り、日本赤十字看護大学へ。

東日本大震災の後、高齢者の方たちのウェルネスの研究をされていた先生のアシスタントになりました。東北に3回ほど、一緒にインタビューに行かせていただきました。その後、ミャンマーで国際医療NGOのジャパンハートの現地インターンをやった後、また日本赤十字に戻って、今度は国際人道研究センターの研究アシスタントとして文献翻訳や「人道研究ジャーナル」の編集に携わりました。

 

—————基本的なご興味は平和研究ですよね。それは別に海外であろうと日本であろうと関係ない、ということですか?

はい、最初は海外のイメージがあったんですけど、動いていくうちに目の前にあるたくさんの問題が見えてきて、自分の中で「平和」っていうのが戦争や紛争のない状態だけではなくなってきました。で、日本・海外関係なくなってきたというのが、正直なところです。

—————それは動かれたからこそわかることですね。

 

望むものがすべてあった!国際大学大学院しかない!

IUJparty
—————この間もずっとどこかのタイミングで大学院、と思っていらしたんですよね。

そうですね、大学院にはアンテナ張っていました。実は国際大学を受ける前の年度にもう1校、どんなもんやと思ってある有名大学院に出願したんですけど、落ちちゃいました。

—————アンテナを立てているうちに国際大学を知って、まさにここなんじゃないかと思った?

そうなんですけど…実は、赤十字看護大学でアシスタントとしてついていた先生に、早稲田のアジア太平洋研究科のある先生を紹介していただいたんです。その先生と直接1時間お話しして、早稲田に行こう!と決心したんですが、たまたまその日、国際大学の説明会に申し込んでいたんです。時間あるしちょっと行ってみようかな、と思って参加したら、寮生活とか全部英語とかめっちゃ勉強できる環境とか、私がこだわっていたことが全部そろっているとわかって。国際大学1本に決めちゃいました。早稲田に決めたその日にころっと変わるなんて、意志がなさ過ぎですよね(笑)…こんな人もいるんだ、というサンプルとして出していただければと思います。

—————いや、この「先輩インタビュー」で一番大事なのは親近感で、大学院行くのもノリでいいんだ、と思ってもらえればいいと思います!

よかった(笑)。

 

交換留学を目指して猛勉強、そして緊急入院

—————国際大学しかない!と思ってすぐ出願されたんですよね。どんな準備や勉強をされたんでしょうか?

国際大学は日本人が少ないので、日本人の受験生は基本ウェルカムなんです。まったく英語ができないとちょっと難しいかもしれないですが。書類を全部英語で提出しなきゃいけない点がちょっとハードル高かったので、ホームステイしていた先のご縁でネイティブチェックしてもらいました。推薦は、前の会社でお世話になった先輩2人にお願いしました。

いつか大学院に行くつもりで英語の勉強はずっとコツコツやっていたので、IELTSは確か7、8回ぐらい受けて基準点が取れました。でも基準点取れただけじゃ、やっぱり駄目なんですよね…入学してから苦労しました。試験の英語とアカデミックの英語は違い過ぎて。基準点だからと言って万々歳ではないですよね。

—————入学後はいかがでしたか?

私は入学前から、絶対に交換留学に行くと決めていたんです。アジアではない別のところに行きたくて、そうするとカナダやオーストラリアになるんですが、IELTSの点数が足りないのでミラノのボッコーニ大学を狙っていました。普通はみんな1年生の時に授業をたくさん取って2年生では修論に集中するんですが、私は交換留学を目指していたので最低の4コマしか取らずに、成績を上げることだけに集中していました。でも、とにかく勉強が大変すぎて…寝ずに勉強したら40度の熱を出して、1週間緊急入院しちゃいました。完全にもうネタなんですけど(笑)。

—————勉強のしすぎで緊急入院?!

はい、親が愛媛から新潟まで飛んできました(笑)。まあ、振り返るとすごく自分を追い込んでたと思うんです。留学したいのに授業についていけないし、周りにも先生にも絶対ボッコーニに行く!と宣言していましたし。

秋学期と冬学期の成績で決まるんですけど、秋学期の成績が最悪だったんです。冬学期にはなんとか持ち直して、ギリギリ0.2ポイントぐらい高い点数が取れて基準点に達したので、インタビューも通って無事に留学できました。本来はかなり倍率高いと思うんですけど、国際大学は留学で来ている学生が多くて国外に出られる人が少なかった。色々な要素があって留学できたと思います。

いいことをするにもお金が必要だと学んだ社会起業家の授業

—————念願かなってミラノに行かれて、どうでしたか?

いろんな人に助けていただいて、本当に研究したいと思える人たちに出会えたことが大きな財産ですね。あとボッコーニ大学の授業で「ソーシャルアントレプレナー」、社会起業という授業があって、お金を生み出しながら三方良しが叶う方法をアカデミックに学んだんです。世界の様々な社会起業の事例を学び、ミラノの色々なソーシャルアントレプレナーの人たちに講演をいただく授業で、これは自分にとって大きな転換点でした。どうやってお金を回しているか、どうやって起業したか、などをインタビューしてレポートにまとめるので、かなり実践的で面白かったですね。その時までは国連職員とか赤十字職員とか人道ばかり考えてきたんですけど、「お金ないといいことできない」と34歳で気づいたんです。大変なんでしょうけどみんなイキイキ働いていたし、こういう生き方もあるんだと教えてもらいました。

—————研究テーマも、ソーシャルアントレプレナーだったんですか?

いえ、修論はまったく違います。その頃は、シリア危機で大量の難民がヨーロッパに押し寄せてきていた時期で。私が留学した年の前年に、ドイツが100万人の難民をドイツが受け入れ、ミラノも流入してきた人たちでいっぱいで、本当にここがミラノ?と思うぐらいイタリア人ではなさそうな風貌の人たちがたくさんいました。彼らを受け入れるのか排除するのか、すごく大きな問題になってて。国と福祉団体やボランティアが協力して彼らを受け入れるために語学学校を運営したり、ミラノやイタリアの歴史やイタリアで暮らしていくための知恵を全国各地で教えたりしていました。私も現場に足を運んでボランティアさせてもらって、スープキッチンでのお手伝いや難民の人たちと一緒にイタリア語を学んだりしながら、そうした活動についてもインタビューし、それをまとめて修論にしたんです。

難民としての庇護申請者の人たちとも顔見知りになって、センシティブな話も多いので、イタリア語と英語の通訳を介してインタビューしました。命からがら逃げてくる話から始まり、イタリアに住んでいる人たちと、いきなりイタリアに来させられた人たちがどうやって折り合いつけながら進んでいくのか。そんなことを色々な人に助けられて。研究させてもらった感じです。

—————フィールドワークですよね。社会学や文化人類学ではよく聞きますけど、国際平和研究でもよくあるアプローチなんですか?

うーん、どうだろう…二つに分かれるかもしれませんね。国際関係ってかなりアカデミックな国際政治関連も含まれるので、一緒だった日本人の国連志望の男の子は、国連の体制がどう変わっていったのか論文をたくさん読んで、修論を書き上げていました。

—————全然違うアプローチもあるんですね。

私の修論は、担当教官の先生に毎週ダメ出しくらいながら、最終的に「まぁ思ったよりよくやった」と言われました。

—————その辺が評価されて、修論が外部の学術誌に掲載されたんですね。 

前の職場でその学術誌の編集を手伝っていて、博士課程の人の文章が掲載されていたんです。私の研究はミラノに滞在する難民保護申請中の人たちのコミュニティプログラムとその課題だから、学術誌のテーマ「人道」にも合ってる、と思って修論を日本語に要訳して、事務局に送りました。そしたら「いいよ」と載せてくれたんです。

—————いや、そう思って行動するのもすごいですね!

みんなが修論終わってワーキャー言ってる時に、私はずっと部屋にこもってコツコツ要約してました。実は、それがひとつ実を結んだことがあって。国際大学で日本学生支援機構の奨学金が免除になる枠が一つだけあったんですが、それに応募する時、実績として学術誌に修論が掲載されたことを書けたんですよね。そのおかげもあったのか、半額免除されました。自分がやったことを表に出す、ってすごく大事だなって思いました。

ムスリムの青年から学んだ「自分の壁を作らない」こと

Refugee research
—————大学院で学べてよかったと思うこと、大学院へ行って変化したことはありますか?

難民の人たちにインタビューした時、イタリアに来て2年しか経っていないのにイタリア語のインタビューをこなしていた19歳の男の子に会ったんです。私なんか何年も英語を勉強して努力してもモノにならないのに、本当にサバイバル能力がすごい。彼はバングラデシュでいろいろあって、リビアに出稼ぎに行ったらちょうどリビアがドンパチやってる時で、イタリアに命からがら逃げて来たんです。それだけの経験をしているので、イタリア生活なんて彼にとってはぬるま湯みたいなものだと思うんですけど、本当に行動力があって。

なぜ2年でそこまでイタリア語ができるようになったの?と聞いたら、彼はムスリムなんですがキリスト教の教会に通った、と。イタリアってバチカンがあるせいか、教会がみんなの心の寄りどころとして根付いていて、老若男女、小さい子どもや高校生まで教会に遊びに来る文化があるんです。そこで彼は、同い年ぐらいの子たちとボードゲームをやったりして人脈を広げ、おばあちゃんのお手伝いしたり話し相手になったりしてイタリア語を身につけたそうです。彼の話を聞いて、本当に壁を作るのは自分なんだ!と思いました。彼と比べたら私はまだまだ行動できていなかった。それからは彼に学んで、使えるものは使う、自分の壁を作らない、という姿勢で生きています。

難民保護申請中の人たちは、大体が自分と同じような人種の人たちとつるんでいるだけの人が多いんです。でも、それだと語学力も伸びないし集団でいると地域住民も近寄り難いし、結局「イタリアなんか嫌いだ、早く出たい」と言っている。この差を見て、住めば都にするのは自分の態度だ、と思ったんです。

—————人は自分の鏡、とよく言いますよね。

置かれた場所で咲きなさい、じゃないですけど、今も住んでいる場所で地元の人たちとのネットワークを自ら作るようにして、コミュニティに根付く生活をするようにしています。

 

自分が受けた恩を全力で目の前の人に返す

—————修了した後、今までどんな生活をされてきたんですか?

修了してから就活を始めました。海外も視野に入れて考えた時に、現地採用という方法を知ったんです。インドにあるホンダの子会社に現地職員として採用され、語学サポートをやっていました。日本の新卒3年目くらいの給料だったんですが、インドだと楽しく生活できます。大学院で勉強した国際関係とは違う領域ですが、英語力に助けられた感じです。

—————教育関連の団体にもいらしたんですよね。

グローバル教育関連の団体に1年ほど所属して、コーディネーターをやりました。その後、縁があって気候変動による損害保険関係のアドボカシーマネージャー、リスクマネジメントの啓発のようなことを2年間。今は友人に呼ばれて新潟に移住し、インターネットで女性エンパワメントのためのビジネスのサポートをしています。

—————国際大学が好きすぎて新潟に移住されたのかな?と思っていたんですが。

同じ新潟でも、今いるのは山形の近くなので関係ないです(笑)。でも、大学院は好きで今、同窓会の理事もやっています。

—————今後やりたいことはありますか?それとも、あまりそういうことは意識せずに直感で動く感じでしょうか?

私はPay It Forward、日本語で言う「恩送り」を意識しているんです。周りに必要とされていることを100%やる。今まで受けてきた恩を自分で止めずに、自分がやれることをやる。「置かれた場所で咲きなさい」という意識で生きていますね。色々な地域に行く中で、たくさん恩を受けたり助けてもらったりしてきました。

でもたとえ自分が与える側だったとしても、自分は別に何かを返してほしいとは思わないし、逆に与えられたら何かしら還元したいという気持ちが出てきますよね。その気持ちを自分のところで止めずに還元していく、全力で目の前の人や現れたものに自分が受けたものを返せるように取り組む。次世代に返すような大きなビジョンじゃなくて、ある意味世界を良くしていくのは、目の前の人に対してイエスと言うこと。そんな意識で生きている気がします。

—————周りの人を大事にできていないと、大きいことは成せないですよね。

 

日本人のプレゼンスが活かせる国際大学大学院

Denver2
—————最後に、どんな人に進学を勧めますか?

まず、国際協力したくて留学しようとしてる人。留学した先の学校名やどの教授から教わるのか、ってことは大切だと思うんですが、私みたいに英語が好きでもっと勉強したい人、途上国の問題を勉強したい人には国際大学というオプションもあるよ、と勧めたいですね。留学生のほとんどがその地域から来ているので。国際大学だと、日本人のプレゼンスが活かせるというメリットもあります。私も学内で留学生のお手伝いをしてきた経緯で、今でもたくさんの元留学生の子たちと良い関係ができています。

人間って自己効力感がないと、何だか落ちていくじゃないですか。英語でのディスカッションでは全然活躍できないから、そういうところで役に立つことでバランスを取っていたような気がしますね。それから、グローバルで働きたい方は修士号以上を持っておくといいと思います。日本では修士号を持っていてもあんまり役に立つことはない気がするんですけど、海外だとまだまだそういう学歴が有利になることもあります。

—————確かに、日本では修士号を取っても給料に反映されたりしないですね。

海外では一応専門性を持っていると思ってもらえますから、いいと思います。これで国際大学に恩送りできたかな(笑)。

—————今日はありがとうございました!

 

ラーニングコミュニティのお知らせ🐘

Elephant Careerでは、社会人大学院受験を応援するラーニングコミュニティ、えれキャリ+を運営しています。2ヶ月間の短期集中で、読書会をベースに入学後も役立つ自律的な学びをサポートします。

その他には、実務から芽生えた課題感やモヤモヤを研究計画書に仕立てるお手伝いや、キャリア棚卸しでなぜ今大学院が必要なのか、一緒に言語化していきます。ただ受験に合格するだけではなく、本質的にみなさんのキャリアにとって社会人大学院へのチャレンジがプラスになる伴走をしていきます。

お申し込みはこちらから
・「まだ申し込むかわからないけど質問・相談したい!」という方は、お気軽に問い合わせフォームからご連絡ください

Elephant Letter

毎月、大人の学びに効くコンテンツをお届けします。

ステータスを選択してください

Elephant Letter

毎月、大人の学びに効くコンテンツをお届けします。

ステータスを選択してください

Elephant Letter

毎月、大人の学びに効くコンテンツをお届けします。

ステータスを選択してください
コメントを残す

CAPTCHA


関連キーワード
おすすめの記事