社会人大学院の経験談を紹介する「先輩インタビュー」

今回は、筑波大学大学院 理工情報生命学術院 後期博士課程に在学中の阪口 友貴さんです。

阪口 友貴さん

1997年、茨城県つくば市出身。茗渓学園中学・高校でラグビー部に所属し全国大会に出場。同校では、中村泰輔氏に師事し、小惑星探査機に関する個人課題研究で多数の受賞・書籍掲載を経験。東京理科大学工学部電気工学科では、鳥人間コンテストに出場し滑空機コックピットの自動設計プログラムを開発。同大学では長谷川幹雄教授に師事し、量子ニューラルネットワークの研究を行い、年間表彰学生に選出。2021年4月、三菱地所株式会社に入社。オフィスの予算・決算業務および賃料の価格政策業務を経て、2026年4月より新事業創造部に異動し、新事業の企画・推進、M&Aを担当。2023〜2024年度には政策研究大学院大学(科学技術イノベーション政策)で林隆之教授に師事し、社会人修士課程を修了。2024年度には内閣府「国際社会青年育成事業」(ドミニカ共和国派遣団)に日本代表青年として参加、2025年度には「日本・韓国青年親善交流事業」の日本国派遣団副団長を務める。2026年度より、筑波大学大学院 理工情報生命学術院 後期博士課程 に在学中。

在学中の大学院筑波大学大学院 理工情報生命学術院 後期博士課程(社会工学)

入学年月:2026年4月

研究内容:オフィス空間における従業員の体験価値に基づく賃料評価

2021年度から三菱地所株式会社で不動産業務に従事しながら、2023〜2024年度には政策研究大学院大学で修士課程を修了。2026年4月からは筑波大学大学院で博士後期課程に進学し、「オフィス空間における従業員の体験価値に基づく賃料評価」に関する研究に取り組んでいます。さらにメンタルヘルス領域のベンチャー立ち上げ、内閣府の青年海外派遣事業、業界横断のコミュニティ運営など、多方面で「インタープレナー」「エコシステムエンジニア」として活動を続けています。

「働きながら学ぶ」をどう生き方として体現するのか。28歳とは思えない静かな熱量で語る阪口さんに、これまでの歩みとこれからの展望を伺いました。


つくばで育まれた、研究へのまなざし

——まずは、現在のお仕事と大学院について教えてください。

社会人としては今ちょうど6年目に入ったところで、2021年に新卒で三菱地所に入社しました。1年目から5年目まではオフィスの予算管理や決算作成、そして賃料を設計するいわゆる価格政策の仕事を担当していました。この6年目、ちょうど今年の4月から新事業創造部という別の部署に異動して、新規事業の立ち上げや、M&Aの検討など、事業をつくっていく仕事をしています。

並行して、社会人3〜4年目にあたる2023〜2024年度に政策研究大学院大学で社会人修士課程に在籍していました。そして今年4月から、筑波大学大学院 理工情報生命学術院の後期博士課程に進学したというのが、今の状況です。

 

——出身はつくば市なんですよね。

はい。高校卒業後の浪人時代まで茨城県のつくば市に住んでいて、大学に入るタイミングで東京に出てきました。中高は茗渓学園に通っていました。

研究という営みのおもしろさに初めて触れたのは、中高時代に取り組んだ個人課題研究です。当時、学校がスーパーサイエンスハイスクールに指定されていて、中高生でも研究をするカリキュラムがあったんです。それから、何よりもつくばという街自体が、プロの研究者の方々がすぐ近くにたくさんいらっしゃる環境でした。人生の選択にすごく悩む時期に「研究」という魅力的な活動に出会えたのは、本当に恵まれた経験だったなと思っています。

ラグビーと個人課題研究 ―「生き方」と「面白さ」を学んだ中高時代

——ラグビーは小学生から始められたんですか?

はい。きっかけは小学校のときの友達が誘ってくれたことで、茗渓学園に進学したのもラグビーが一番の決め手でした。

中高時代の自分を作ってくれたものは大きく2つあって、1つはラグビー、もう1つが個人課題研究です。ラグビーからは「生き方」と「根性」みたいなところを学ばせてもらいました。体育会的な側面もありますが、それも自分にとってはすごく大事なことだったと思っています。

 

——博士号を取りたいという思いは、いつごろから持たれていたんですか?

ちょっと恥ずかしいのですが(笑)、実は小学校の卒業アルバムに「博士号を取得する」と書いていたんです。自分が人生の終わりにどんな振り返り方をするかって、私の中ですごく大事なテーマで。最後に思い返すのは、たぶん自分が過去にアルバムなどに書き残した目標や夢なんじゃないかと思っているんです。

だから、まずは過去の自分も大切にして、書いたことを有言実行していく。それを一つひとつ積み重ねていくことが、結果的にいろんな方の参考になるような人生にもつながっていくのかなと考えています。

鳥人間コンテストへの憧れから、東京理科大学へ

——理科大を選ばれた理由は何だったんですか?

これは今のキャリアと必ずしも直接つながっているわけではないのですが、小学生のころからずっと、鳥人間コンテストに憧れがあって。大学は「鳥人間コンテストに出ている大学」だけを受験するという選び方をしていました。中でも滑空機部門に強い思い入れがあったので、滑空機チームのある大学を中心に受験して、ご縁があって理科大に進みました。

大学では工学部電気工学科で、通信系の研究室に所属して、量子ニューラルネットワークなどの量子技術の研究に取り組んでいました。

——そのまま大学院まで進むという選択肢もあったのでは、と思いますが、いかがでしたか?

そうですね。高校までの研究の楽しさを覚えていたので、当然のように大学院まで行くんだろうなと思っていました。ただ、結果的には学部で就職するという判断をしました。

もちろん修士・博士に対する魅力は感じていたのですが、「大学院進学以外の選択肢も広く見てみたい」という気持ちも正直にあって。そのときの自分にとっては、不動産という仕事に感じていた魅力のほうが、大学院への魅力より少しだけ高かった、というのが率直なところです。

「就職か進学か」ではなく「就職も進学も」

——学部卒で不動産デベロッパーに就職されていますが、大学院への進学は考えなかったのでしょうか。

街づくりは、一部の専門家だけでつくるものではなく、いろんな分野の専門性を持った人が集まって、知見を出し合いながら「こういう社会をつくりたいよね」とすり合わせていくものだと考えています。電気工学を学んでいた自分の知見も、いつかその輪の中で活かせるんじゃないかと思いました。

だから、街づくりに就職する=大学院進学をあきらめる、ではないんですよね。むしろ街づくりをやるからこそ、いつか修士・博士に行くんだろうな、と当時から思っていました。タイミングをどう取るかという話で。

——社会人になってからも「いつかは大学院」という気持ちは持ち続けていたんですね。

はい。実際、就職してみて気づいたのは、街づくりは民間企業が「何をつくりたいか」だけで動くものではないということでした。行政の方々が何を考えて国づくりをしてくださっているのか、そこをちゃんと理解して、フラットに議論できるようになりたい。そう思って、社会人3年目から政策研究大学院大学の修士課程に進みました。

修士課程では、核融合領域への公的支援のあり方について研究しました。これからまさに日本を作っていく核融合産業の方々に対して、街づくりをする立場の自分には何ができるのか。「支援」というよりは、同じ社会を見て一緒に走らせていただくために何ができるのか。その仮説を組み立てられるようになったことが、修士課程で得られた一番大きな価値だったと感じています。

1年の充電期間を経て、筑波大学博士後期課程へ

——修士課程を修了されて、すぐに博士課程には進まれなかったんですよね。

そうなんです。修士課程の卒業と同時に博士課程に進むという選択肢もあったのですが、博士はやはり負荷の大きいチャレンジになるので、その前に一度、自分の人生をしっかり考える時間を取りたいと思って、社会人5年目は「考える1年」にしました。

その1年を経て、社会人6年目の今年4月から、筑波大学大学院 理工情報生命学術院の博士後期課程に進学したという流れです。

——今の研究テーマについて教えてください。

「オフィス空間における従業員の体験価値に基づく賃料評価」をテーマにしています。空間の価値ってどう測れるんだろう、ということをもう一度きちんと考え直したいと思いました。私は1年目から5年目までオフィスの賃料を決める仕事をさせていただいていたので、ある意味、業務の延長線上にあるテーマでもあります。

街づくりの中で自分がいろんな専門家の方々と議論していくためには、まず自分自身が一つの分野でしっかり仮説を組み立てられる存在にならないといけない。まずは自分のベースである不動産開発と、それまで担当してきた賃料・空間の価値という領域で、きちんと知識を積み、仮説を立てられるようになる。それを目指して、博士のテーマを選びました。

10を「5+5」ではなく10を「12+12」に

——働きながら大学院に通うことには、強いこだわりを感じます。

はい。これは私の中ですごく大事にしているところです。

 

社会人大学院に行くと、よく「仕事との両立はどうしてますか?」と聞かれるんですが、私はそれを「両立」だとは思っていなくて。元々の業務成果の総量が10だったとして、社会人大学院に行ったらそれを「業務成果5+大学院成果5」にするのではなく、「業務成果12+大学院成果12」にしなきゃいけないと思っているんです。大学院に行くからこそ、仕事も大学院に行く前以上に成果を出すために動かなきゃいけないし、それができるからこそ、次にチャレンジしようとしている人の道もひらいていける。

 

外で得たことを社内に還元し、社内で得たことを社会や外部に還元していく。それが回り始めると、すごく理想的な形に近づくのかなと思っています。

 

——応援してくれている会社や周囲に対する「還元」という発想なんですね。

そうですね。今こうして挑戦できているのは、家族や、応援してくれている上司、同期、それから大学院の仲間たち、本当にたくさんの方々のおかげなので。仕事や学業を「切り分ける」のではなく、得たことをきちんと持ち寄って、所属している組織や周囲にお返しをしていく。それは、ある意味で恩返しの連続なのかなと思っています。

 

——よく耳にする「産学官連携」という言葉については、阪口さんはどう捉えていますか?

「産学官連携」って、言葉自体が「産」「学」「官」を切り分けて捉えているから出てくる言葉だと思っていて。1人が3つの分野それぞれで同時に活動していてもおかしくないですし、人がもっとシームレスに行き来できるようになれば、「連携」と言わなくても自然に有機的につながっていくはずです。

特定の組織にだけ属するのではなく、もっと大きな目的のために複数の組織を渡り歩きながら、同時に動いていく。組織は所属して貢献するものでもあり、力を借りるものでもある。そういう生き方が増えていけば、社会全体としても、もう少し有機的に動けるんじゃないかなと思っています。

インタープレナー ― 働き方ではなく、生き方

——「インタープレナー」という言葉を肩書きとして使われているのも印象的です。

この言葉に出会ったのは大学4年生のときでした。それまでは、アントレプレナーともイントラプレナーとも違うな、自分の生き方にぴたっとはまる言葉がないな、とずっと感じていました。だからインタープレナーという言葉に出会ったときに、「あ、これだ」と思って、自分の生き方が認められたような感覚がありました。

 

ただ、私はこの言葉に縛られたいわけではないんです。むしろ、インタープレナーという生き方が当たり前になって、いずれこの言葉が使われなくなる社会になったらいい。そうなったら、また次の課題が見えてきて、また新しい言葉が必要になる。そういう順番でいいんだろうなと思っています。

 

——阪口さんがインタープレナーとして発信を続けるとき、その根っこにある思いはどんなものなんでしょうか。

きっかけは、小学校のときの記憶です。当時、将来の夢として「ラグビー選手」と「宇宙飛行士」と書いていたのですが、先生から「せっかくつくばにいるんだから、研究者を目指してみたら?」と言われたことがありました。

 

それは先生の優しさだったし、実際そういう環境に恵まれていたからこそ、今の自分が研究に興味を持てているのも事実です。だから、そのこと自体は本当にありがたいなと思っています。

 

ただ、子どもの自分としては、なんとなく大人が枠に当てはめようとしてきている気がしてしまい、もっとシンプルに「自分のやりたいことをやりたい」と言える社会であってほしいな、と思いました。子どもの頃から無意識に植え付けられている固定観念や社会常識のようなものに、人生の選択肢を自ら狭めてしまっている人は少なくないのではないかと思います。

 

たとえば「就職したら大学院には行けないんだろうな」とか、「大学3年生のときに就職か進学かを選ばなきゃいけない」とか。本当は「就職も進学も」という選択肢があってもいい。働きながら学部に行く人、修士に行く人、博士に行く人、起業する人が身近に一人でもいたら、「あ、こういう生き方もあるんだ」と気づいて選べる人が増えるはずです。

 

私自身の生き方が、誰かの新しいチャレンジの「きっかけになる事例」になれたらいいな、というのが、いま発信を続けている理由です。

技術と社会の共存 ― 街づくりへの想い

——そもそも「街づくり」というテーマに関心を持つようになったきっかけは、どこにあったんですか?

小学生の頃のつくばでは、ロボットが街中で実証実験として走っているような光景がありました。それが当たり前にあった環境です。

 

でも大学進学で東京に出てきたときに、つくばにあったあの便利な技術が、ここではぜんぜん使われていないぞ、と感じました。そこから、技術が社会に実装されていくには、2つのフェーズが必要なんじゃないかと思うようになりました。

 

ひとつは、街で実際に使ってみるフェーズ。もうひとつが、その技術に「安心感」と「発信力」が付与されるフェーズです。

 

私にとって、その「技術に安心感と発信力を付与できる場所」が大手町・丸の内・有楽町でした。海外の方が初めて東京に来たときに最初に目にする街、ニュースの背景に映る街、ゴジラに踏まれる街(笑)。そういう街で当たり前に技術が使われていたら、ロンドンやニューヨークの方々も、「ここでできているなら、自分たちのところでもできるかもしれない」と思ってもらえるんじゃないか。そう考えるようになって、街づくりに惹かれていきました。

 

——丸の内では、実際にどんな技術実装の事例があったんでしょうか?

例えば、過去には量子アニーリングを活用して経路設計したごみ収集の検証があります。

 

新しい技術が世に出てきたときって、「いつか仕事を奪われるんじゃないか」といった過大評価や「どうせ大したことない」といった過小評価が両方生まれてしまいがちです。だからこそ、もっと早い段階から、当たり前に技術に触れられる環境がある街があるといいのではと考えています。

 

「実はその技術、20年前から皆様が暮らしてる街・働いてる街で一般的に使われていたんですよ」と言える状況がつくれれば、技術と社会が適切に共存しながら発展していく社会に近づけるんじゃないか。そういう想いも、街づくりへの関心の根っこにあります。

エコシステムエンジニアとして、同じ熱量で伴走したい

——今後の発信として、大切にしていきたいメッセージはありますか?

大きく2つあります。

 

1つは、いま申し上げた通り、周囲の方々が「自分もこんな生き方をしていいんだ」と気づくきっかけになるような事例として、自分の人生を歩みたい、ということ。心のどこかで作ってしまっている、人生の選択にかかる制約を外すきっかけとなる存在になれたらと思っています。

 

もう1つは「エコシステムエンジニア」という考え方です。街づくりは、国づくりであり、社会づくりでもあると私は捉えています。理想とする社会・国を、よりミニマムなかたちで実現していくのが街づくり。そこには本当に多様な関係者の方々がいらっしゃるので、自分一人で何かをつくれるものではありません。

 

だからこそ、いろんな領域のパートナーの皆さまと「同じ熱量」「同じ知見」を持って、目指す未来を共に構築できるような存在になりたい。「支援」ではなく「一緒に走らせていただく」という感覚に近いです。みんなで「こういう方向を目指そう」とすり合わせて、一緒に走るための場をつくっていく。そういう街づくりであってほしいなと願っています。

30代の抱負 ― 感謝を忘れず、次のチャレンジへの「仕組み」を残したい

——最後に、30代に向けてどんな歩み方をしていきたいですか?

 何よりもまず、いま自分が挑戦できる環境を支えてくれている、家族や友人、上司、同期、後輩、大学院はじめ、仲間たちへの感謝を忘れない生き方をしたいと思っています。新しいことに挑戦することももちろん大事ですが、その挑戦を応援していただけている環境そのものが、本当にありがたいので。

 

その上で、これまでバラバラだった仕事・大学院・新規事業・国際活動などで得てきたものを、それぞれの所属組織にしっかり還元していきたい。先ほどの10を「12+12」にという話と重なりますが、自分の中だけで完結させるのではなく、お互いに知見を還元しあえるサイクルを、ちゃんと仕組みとして残せる30代にしたいなと考えています。

 

仕組みになっていけば、次に挑戦したいと考えてくれる人が、もう少しチャレンジしやすくなるはずです。「大学院に行ったら仕事に手がつかなくなる」ではなく、「大学院に行ったからこそ、仕事にも社会にも、よりよい還元ができる」。そんな事例を、自分なりに積み重ねていけたらと思っています。

——今日は貴重なお話をありがとうございました。阪口さんの歩みが、社会人大学院を検討されている方や、組織と組織の間を自分の生き方として行き来したいと考えている方の、よい参考になると思います。


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