思考よりも行動。ノウハウを残したい思いで大学院に進学 法政大学大学院 政策創造研究科

社会人大学院の経験談を紹介する「先輩インタビュー」
今回は、法政大学大学院 政策創造研究科を修了された伊東 一郎さんです。

前川製作所の東広島工場長時代に積極的な障害者雇用に取り組み、知的障害者雇用に関するノウハウを論文に残したいという思いから大学院に進学されました。今回は、その伊東さんが取り組んできた知的障害者雇用に関することや進学に至る経緯、人生で大切にしていることについてお話を伺いました。


伊東 一郎さん

1976年4月株式会社前川製作所に入社し、15年近く電気計装設計を担当。その後、経産省、環境省、農水省との関係強化に奔走し、2005年に執行役員、2007年東広島工場長、2008年取締役、2009年常務取締役に就任。顧問時代から一般財団法人前川ヒトづくり財団の公益化に付いて内閣府と協議を重ね、2019年顧問退任後、公益財団法人前川ヒトづくり財団の理事長に就任。2023年に財団が解散したため、現在は、(株)前川製作所と嘱託契約を結び、障害者雇用全般を担当している。

卒業・修了した大学・大学院:法政大学大学院 政策創造研究科
入学年月(年齢):2021年4月(70歳)
修了年月(年齢):2023年3月(72歳)

技術職から一般財団法人前川ヒトづくり財団の理事長になるまで

—————まずは伊東さんの経歴を教えていただけますか?

1976年4月に株式会社前川製作所に入社して、15年近く電気計装設計を担当しました。その後、システムエンジニアとして営業サポートにあたり、50代で地球温暖化対策や農作業支援ロボット、食品盛り付けロボットの開発予算獲得のために環境省・農水省・経産省に足しげく通い、経産省のRTミドルウエア委員会に参画したり、ロボットビジネス推進協議会立ち上げのメンバーになったりしていました。2008年に取締役、2009年には常務取締役となり、役員退任後の2015年に顧問になり、2019年顧問退任後に公益財団法人前川ヒトづくり財団の理事長に就任しました。現在は株式会社前川製作所と毎年、嘱託契約を結んでいます。


工場長就任で取り組んできた障害者雇用制度を残したいという思い

—————大学院進学のきっかけが、もともとご担当だった障害者雇用の仕組みを世の中に広めたいからだと聞きました。具体的にどんな仕組みだったのでしょうか?

私が東広島工場の工場長のときに、積極的な障害者雇用をスタートしたのがきっかけです。前川製作所は、環境に合わせて生き続けることがミッションだったため、1978年ごろから海外の現法と同じように、全国の支店、営業所の独法化(分社)が始まりました。

地域に根差した活動やエネルギー分野、食品分野に特化した活動の結果、売上・利益も大きく伸びました。しかしながら、これからの世界情勢(エネルギー・食糧問題)を考えると、独法体制のままでは、人的資源を有効に活用できないといった判断があり、2007年に分社化した会社を統合し、一社化しました。

ところが、一社化したことで、障害者雇用率が問題になりました。障害者雇用は常用雇用者数に対して、障害者雇用率との関係で障害者の割合が決められています。今までは、数十人から百人程度の独法だったので、障害者雇用率はクリアしていました。しかしながら一社化した段階で国内で2,000人近くの従業員数となったため、6月1日時点(毎年ハローワークに提出)の障害者雇用率が驚くほど低いものでした。

すぐにハローワークから改善命令が出されました。そのため、社長からの指示で新しくできた東広島工場から積極的な障害者雇用をスタートさせることになりました。当時、当社は60歳で定年でしたが、健康でやりたいことが明確になっていて、周りがそれを認めてさえいれば、残れる仕組みでした。定年を過ぎたシニア層が当たり前のようにいる中で、ミドル層、ヤング層が各々の特徴を活かして一緒に仕事をしていました。そういった状況で、大手企業のように障害者を集めた特例子会社を作ると、障害者を健常者から隔離してしまうイメージになります。当社としては、高齢者も健常者も障害者も一緒に働くことが当たり前の考えでスタートしました。



————— 会社が統合したことがきっかけで、障害者雇用が本格スタートしたんですね。具体的にどのように進められたのでしょう?

最初は身体障害の方の雇用を考えましたが、すでに大都市圏では、大手企業が身体の方を多数雇用していたため、採用が難しいことが分かりました。そのため、精神障害の方や知的障害の方を採用せざるを得なくなりました。

採用に関しては、障害者の求人票をハローワークに出す段階で、知的特別支援学校や就労支援機関に連絡を入れてもらい説明会を開催しました。そこで、当社の障害者雇用の方針や就労場所、就労条件などの説明と実際に本社や茨城県守谷にあるマザー工場の見学を行いました。そういった流れの中で、知的特別支援学校の先生との関係もできてきたため、その後は東京都特別支援教育推進室経由で必要な人材の紹介をお願いしていきました。

実際のD&Iの進め方についても紹介します。本社で清掃業務をやっている知的障害の方達は、3〜7階までの執務フロアーの中階段とフローリング部分、階段側面のガラス部分、さらに東西にあるシンクや会議用テーブルの清掃がメインです。そこで、彼らの作業チェックをお願いするために、赤い筒状のものが、その日の担当者のパーティション上に置かれます。彼らは、そこに行って挨拶をし作業を始めます。終わったら再度担当者のところに行って、検査をしてもらい清掃チェックシートにコメントを書いてもらう仕組みを作りました。海外や地方から本社に転勤した人も赤い筒が置かれれば担当になり、初めての方であれば、チェック手順を書いたものを渡してくれます。それに沿って役職者に関係なく、検査する仕組みを作って進めてきました。何か問題があれば、全社員を知的障害者のジョブサポーターとしていましたので、各フロアーで障害者に何くれとなく対応してくれるメンバーを集めて問題点を明確にして対応してきました。



—————なるほど、ありがとうございます。伊東さんが大学院に進学したのは、やってきたことをアカデミックに残すためだったのでしょうか?

先程も話しましたが、私が役員の時代に特例子会社を作らずやると決めたので、障害のある方も健常者と一緒に働く共創の考え方がベースでした。その結果、本社や工場では障害者雇用を当たり前のこととしてやってきました。しかしながら退任後に社長交代や大きな人事制度改革があり、当時も雇用率が2%を維持していたため、何となく継続はされているものの積極的な障害者雇用を考える部署は作られませんでした。

いくら仕組みを作ってもそれを維持するには熱き思いがないと形骸化するだけです。その理念や考え方を残すにはどうしたら良いか考えたとき、工学部の大学院時代に研究した内容が、担当教官と連名の論文となっていて、Google Scholarで調べると出てきます。論文にすれば、考え方や仕組みも残るんだということがわかりました。



—————世の中にちゃんとした形で残したいなと思ったのは、どのような理由ですか?

もちろん、今話したこともあるのですが、令和8年から障害者雇用率が2.7%になり、常用雇用者が37人以上の会社では、一人の障害者を雇わざるを得なくなります。しかし、今、中小企業は少子高齢化で人材採用が難しくなっています。ノウハウを持った高齢者がいるうちに障害のある方を雇ってでも会社のノウハウを残すことを考えなければなりません。

軽度の知的障害の方は相当のことができます。また、同じ作業を淡々とこなしてくれる知的の方もいるため、そういった方を中心に採用して、ノウハウを受け継いでもらったほうがいいと思っています。知的障害を持った方でも工夫次第で問題なく働けることはわかっていました。しかし、知的障害の方の就労や離職に関する先行論文では、離職の理由は本人に起因する内容が多いのも事実です。しかし当社では、大きな問題もないので、何故そうなるのか本質的なところが気になっていました。まず、そこを解明したいと思ったのが、論文として残したいと思った理由の一つです。解明できれば、中小企業でも事前に対策を打ち、障害者雇用制度をうまく活用して、人材不足を解決できることも考えました。



—————非常に意義があることですね。

ありがとうございます。


大学院進学のきっかけになった石山先生との出会い

—————法政大学大学院の政策創造研究科を選んだのは石山先生の影響が大きいとお聞きしました。石山先生に出会ったきっかけを教えてください。

公益財団法人前川ヒトづくり財団は、助成事業とシンポジウムがメインの活動でしたので、石山先生の『会社人生を後悔しない40代からの仕事術』を読んで、生涯現役社会の実現を考えるシンポジウムで絶対に講演してもらおうと思ったことが始まりです。Facebookで石山先生を検索するとあったのでメッセージを送って、それで先生を尋ねるために大学に行きました。

財団としては、2019年の第5回のシンポジウムでご講演いただきましたが、まだ大学院を志望してはいませんでした。実は、石山先生は越境学習の研究者でもあり、副業・兼業についても研究されています。2022年まで都合3回シンポジウムでご講演いただき、それからのお付き合いです。



—————石山先生と出会って受験に至るまでの経緯はどのようなものだったのでしょうか?

石山先生ご自身、人事をNECで担当してGE Japanに行き、研究者になられた経緯がありました。

少し分野は違うかもしれませんが、石山先生ならば障害者雇用について研究できると思い、石山先生に「ゼミで研究させてもらえませんか?」と直接聞きました。すると先生は「私は障害者のことはプロではないけども、人事部にいたので障害者雇用についてはわかります。ゼミに来たいのであれば、研究計画書を書いて受験してください」と言われたので、受験を決意しました。



大学院は教えてもらう場所ではない。いい意味での裏切り


—————ありがとうございます。大学院で得られたことやいい意味で裏切られたことなどはありますか?

まず大学院には、さまざまな背景を持った方がいることに驚きました。例えば私の同期で同じゼミには大手K通信の政治部記者で『猪木道: 政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』を書いた方がいました。奥様がアメリカに転勤となったため、まだお子さんが小さく、どうするか悩んだ末、休職してアメリカに同行しました。2年間の休職期間が終わるときに奥様を残し、お子さんを連れて帰国するかどうか同じように悩み、最終的にはK通信を辞めアメリカでの専業主夫の道を選択されました。また、中国で看護大学を卒業後、向こうで看護師をやっていましたが、日本での医療技術を勉強する為に日本で看護師として働いている方などもいました。人によって背景がさまざまで、すごく面白かったし、ゼミが終わってからの飲み会も楽しかったです。

さらに、大学院に行って驚いたことは時代が違うからかも知れませんが、学び方の違いです。随分古い話になりますが、工学部の大学院時代でも指導方法は教師が生徒を教えるペタゴジーという形でした。しかし社会科学系の大学院は専門科目の授業でも時間の半分以上は、与えられたテーマをゼミ生同士で議論し発表する場で、ゼミでもアンドラゴジーの学びになっていたのです。そのためやったことの成果がどうなっているか、どういうことをやって、何が問題なんだというところを自分で探求し結論を導きます。ゼミでの研究発表時は、もちろん先生も議論に参加し、ヒントはくれますが、直接教えてくれることはあまりありません。僕にとっては「あれ、世の中変わったのかな?」と思うほどの驚きがありました。



—————なるほど。これは世の中が変わったのか、社会科学だからなのかという疑問があったのですね。

フォートランでプログラム書いていた工学部時代は、地震が来たときに高層ビルがどのように揺れるかといったモデルを精度よく、安定に解く数値解法がなかったので、従来の数値解法を精度と安定性といったレベルで評価し、これに沿って新たな数値解法を設計するという単純な流れでした。ところが社会科学の領域になると、自分の研究領域の先行論文をどれだけ読んだか、そしてそこにどういう穴があるか、その穴が自分の研究課題になっているかどうかを探すことが求められます。

そのため、課題解決型研究というよりも課題発見型研究といった感じに見え、いい意味でその違いに裏切られました。さらに最初から修士でも研究者として見られてしまうということに違いを感じましたね。




今後は、まずJEEDで発表をする

—————ありがとうございます。今後のキャリアについて考えていることはありますか?

今後は、中小企業での障害者雇用を視野に、井上先生が研究代表者になっている法政大学大学院中小企業研究所の特任研究員に加えていただきましたので、今回の修士論文は修正しつつ、まず障害・高齢・求職者支援機構(JEED)の第31回リハビリテーション研究・実践発表会で11月に発表します。

その後は、日本中小企業学会で発表し、査読論文の投稿を目指そうと思っています。



—————今後のキャリアも明確に決まっているのですね。

私が掲げている目標は「何か残したい」です。残りの人生が少ないので、できることをどんどん進めています。



思考よりも行動。ただし先を常に見据えた考え方が必要

—————今までの話を聞いてみて、伊東さんは研究とか勉強が好きなのかなと思ったのですが、いかがですか?

研究も勉強も好きではないですね。思考よりも行動を先に起こすタイプではあります。石山先生に実際にコンタクトを取ったときも、思考より行動が先行していました。

ただし、先を見据えて行動することは必要だと思いますね。



—————ありがとうございます。先を見据えることを意識し始めたきっかけを教えていただけますか?

前川製作所に入ったときに、社長であった前川正雄さんに言われたことがきっかけです。 28歳のときに社長から「30代で何してる?」と聞かれました。そして私が答えると次に「じゃあ、40代はどうしてる?」と聞かれて、答えました。それを60代まで聞かれて、私は「まだ28歳なので、考えられないです」と最終的に答えてしまいました。

周りを見ても技術者で優秀な人はたくさんいます。優秀な人と技術でトップを争ったところで勝てません。ふと社長から質問されたときに、自分は何ができるのか考えるようになって、行動を起こしていきました。その結果が大学院進学などに繋がっていると思います。

過去には未来を見据えて、旅行代理店業務の資格やキャリアカウンセラーなどの資格も取りました。今でも活かせている資格はあります。ちょっと先のことを考えて、それに対して行動することを繰り返すのが大切なのかなと思います。



—————たくさんいい話を聞かせていただきました!ありがとうございました!






執筆者:堀口 祥子



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