働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は中央大学大学院戦略経営研究科を卒業された髙橋 栄美さんです。
大学時代はフィリピンについて学ばれ、留学も経験された髙橋さん。大学卒業後は主に金融業界で20年ほどキャリアを積まれています。そのうち、2年間は金融庁にて新興国国際協力に従事し、さらに起業もしているそうです。その過程の中で、法律の基礎知識を含め、更なる知識習得のために、中央大学大学院で学ばれました。髙橋さんのこれまでの人生とこれからの展望、そして大学院で学ぶ意義についてインタビューしました。
東京外国語大学卒業後、外資系メーカーで経理、外資系信託銀行で資金繰りや不動産証券化管理を担当後、日系大手証券会社検査部に転職。内部監査業務に従事しながら、中央大学大学院にて経営法務を選択し、金融サイバー犯罪の修士論文を執筆してMBA修了。その後、金融庁、メガバンク、米系仮想通貨交換業を経て、独立起業するも収益化が上手くいかず、ビジネス再出発のために外資系証券会社に戻り、パラレルキャリアを継続中。
卒業・修了した大学・大学院:中央大学大学院戦略経営研究科(経営法務選択)
入学年月(年齢):2008年4月入学(34歳)
修了年月(年齢):2010年3月修了(36歳)
●フィリピンで「本当のダイバーシティ」を経験
————まずは、大学時代から今までの経歴についてお聞かせください。
大学は外国語学部フィリピン科に進学しました。当時はフィリピンについてあまり知りませんでしたが、4年間の学費を払うのでラジオ講座などで学べない言語を大学で学びたいなと思い、フィリピン科を受けました。好奇心旺盛なので、当時から新しいことに挑戦したい思いを強く持っていました。入学してからはアルバイトをいくつも掛け持ちしお金を貯めて、毎年フィリピンに行っていました。やはり語学を習得するには現地に行くことが一番良いという思いがあったので。
大学3年生になって卒業後の進路を決めるために「果たして自分は何をやりたいのだろう」と考えたのですが、やりたいと思えることが見つからなかったのです。自分のやりたいことが明確ではない人材を会社が採用するわけないなって思ったので、やりたいことを探すために1年間休学し、フィリピンに留学することにしました。親に言って何か反対されたり、留学が実現できないのは嫌だったので、自分で留学費用を貯め、親には留学直前に伝えて、そのままフィリピンに飛びました。留学先は信号もない、町の端から端まで車で30分ぐらいの小さな学園都市で、日本人は当時5名くらいしかいませんでした。貧乏留学だったので、話のネタになるくらい(笑)辛いことや怖い思いもたくさんしましたが、たくさんの気づきや学びがあって、今となってはすべて貴重な経験になりました。
————ずんずん自分軸で進んでいく様が、お話しを聞いていてとても清々しいです!フィリピンでは、どんな気づきや学びを得たのですか?
まず一番初めに思ったのは、フィリピンは日本でいう「非常識なこと」が何でも起こる国だな、ということです。同時に、日本の「常識」って、一体何なのだろうという疑問も持ち始め、その理由を知りたい思いで、何度も現地に行くようになりました。
留学先では「真のダイバーシティ」を経験することができました。私は留学生グループに所属していましたが、留学生にはハーフやクォーターなど、複数の国籍が入り混じっている人が多くいました。中には、両親とも異なる国のハーフで、4カ国のルーツを持つ人もいました。そこでは、自分や周りの人を「どこどこの国の人」と見るのではなく、一人一人が「わたし」であり「あなた」である。「自分」というアイデンティティをしっかり持っていて、お互いに尊重するし、周りの誰もそれを否定しない環境でした。
私自身はフィリピンを専門にし、互いに尊重しながら接することを心がけていたので、私に差別意識はないと思っていました。でも、さまざまな国をルーツにもつ留学生たちに囲まれて過ごす中で、ふと自分にも「無意識のバイアス」のようなものがあるのではないかと気づいたのです。特に、まだ知らない国々に対して「無意識のバイアス」があるかもしれないことに気づいたら、自分の中からそれがぱっと消えたのです。だから「気づく」ことはすごく大事で「知る」ことで変われるんだなって思うようになりました。この経験が自分の中ではすごく大きくて、国際協力、特に文化協力をしたいと思うようになりました。文化は経済のようにはっきりとした優劣はなく、地域ごとに異なるものとして、互いに尊重できるものだと思うんですね。だから日本文化を知ってもらうこと、世界の文化を知ること、その交流を推し進めることに携わりたいと思いました。やりたいことが見つかったことが、留学での一番の収穫でした。
●外資系メーカーに就職、そして金融業界へ
————「無意識のバイアス」についての気づきが得られた、とても意味のある留学だったんですね。帰国してどちらに就職されたのですか?
最初は外資系メーカーに就職しました。本当は国際文化交流を行う組織に行きたかったので試験を受けたのですが、落ちてしまいました。なぜかというとフィリピンの田舎で、テレビも持てず、新聞もなく、世界の情報が全く入らないところに一年間いて浦島太郎状態だったので、時事問題が全滅だったんですよ。日本語も忘れてしまっていましたし。試験後はすでに9月だったので、興味を持てることがあったら何でも挑戦してみようという思いで、ゆっくり焦らず就職活動をして、外資系中小企業に就職しました。
私は会社の人事が採用した最初の新卒、しかも1名のみだったので、研修などの体制がなく、入社3日目には、経費精算の業務をひとりで担当することになりました。ただ、簿記の知識がまったくなかったので、業務をこなすには簿記2級の知識が必要だと思い、簿記を学べる学校を探して、上司に承認をもらった上で通いました。
————そのときからもう、学校に通いながら働いていたんですね。
そうなんです。学校は週4であって、週2日は17時まで働いてから学校に行き22時まで勉強、土日は1日中勉強していました。学校に行かない週3日は夜中まで仕事だったので、結構大変でしたね。ただ、そのおかげで本当は6ヶ月コースでしたが、4ヶ月で簿記2級まで取ることができました。
————そんなに短期間で取ったんですね!すごい。
がんばりました。その会社には2年いて、次のキャリアを考えた時に、やはり国際協力の分野を受け直そうと思ったんですね。それでいろいろ調べていたら、国際協力の団体が金融業界出身者を募集していたのです。非営利団体でも資金繰りはとても重要で、財務や金融の知識をもっている人材を求めていることを知り、いつか国際協力に携われるように、まずは金融業界に進もうと考え、そこから私の金融キャリアが始まりました。
●夢だった国際協力の仕事に携わる
————一社目から転職するときに、すぐに国際協力の方に行くこともできたのではないかと思うのですが、そうしなかったのはなぜですか?
それが、国際協力の団体は、ひとりで十分生活できる給与を支払うところがほとんどなくて。一定水準以上の給与を支払う団体では、特定の専門分野の修士号や博士号を取得していることが条件となっていたので、今は無理だなと思ったのです。
また金融経験者の募集が出るかもしれないので、まずは金融業界に進んで、経験を積んでチャンスを待とうと思いました。しかし、なかなかその機会はなく、金融業界で様々な経験をしながら、10年以上が過ぎていったのです。そんな時、急に転機が来たのです。当時、業務上、金融庁のメルマガを毎日チェックしていたのですが、金融と新興国の専門家募集のお知らせが載っているのを見つけたのです。来た!って思いました。2年間の任期付公務員でしたが、念願の国際協力の仕事だったので、迷わず応募し、合格後すぐに退職をして、金融庁に入庁しました。
————ここで夢が叶うんですね! 金融庁での2年間はどうでしたか。
すごくやりがいがありました。日本と新興国の長官が対談を行う二国間ダイアログを実施したり、国際会議で金融監督に関する知見共有を行ったり、新興国の要望に応じて、日本の金融監督手法を伝えるセミナーを開催したりと、民間企業では決して経験できない「国」としての外交業務に携わるなかで、私が身につけてきたスキルや経験がすべて役に立ったのです。新興国のカウンターパートとも強い信頼関係を築いて仕事ができました。フィリピン留学を機に海外の人に対する無意識の偏見が消えたという話を先ほどしましたが、新興国のエリートたちは、私が偏見を持たずに接する人間であることに、すぐに気づいてくれました。
新興国のエリートは、肌の色など見た目によってバイアスを持たれているかどうかについて非常に敏感なのです。なぜなら、とても優秀なお偉い方々も、見た目だけで下に見られる経験を少なからずしているので。同時に、私が彼らを尊重し、敬意を払って関係構築をしたいと思っていることもしっかりと伝わりました。新興国との信頼関係ができたからこそ「他国から学ぶから、日本から学ぶことは何もないよ」とか、「日本は口では良いことを言うけれど、結局は日本の利益のことしか考えていないじゃないか」といった本音も聞き出すことができました。私はこれを聞いたときに、その日本のイメージを変えること、それが私の役目だ!という強い信念をもちました。新興国のニーズを吸い上げ、彼らにとっても価値ある協力を考え、寄り添い対応し続けたおかげで、他国からの知見共有セミナーの依頼も増えていきました。一方で、国際協力でそこまで手をかけてあげる必要があるのかと疑問を投げかけられるなど、内部の理解を得られないことも多くありました。それでも、相手国の事情やニーズを考え、とにかく信頼関係を再構築し、強化することに、全力で取り組みました。
私の任期が終わるころ、やってきて本当に良かった!と思える出来事があったのです。ある新興国とのハイレベル対談を開催したとき、なんと、海外当局のトップが私のファーストネームを出して、日本の長官にお礼を言ってくれたのです!2年間大変なことも多く、心が折れそうになることもありましたが、すべてが報われた瞬間でした。
●起業、そしてパラレルワークへ
———— 思いをもって取り組んだ2年間が報われたんですね。すごい、こっちまで嬉しくなります。その後はどんなキャリアを?
金融庁での貴重な経験を活かして、今度は官民の架け橋となる仕事をしようと考え、金融業界に戻りました。しかし、貴重な経験は妬みの対象になり、本業以外の人間関係や様々なしがらみで、思うように仕事ができず、精神的に疲れ果ててしまったのです。退職後は、また歩み出すために自己肯定感をあげようと迷走する中で、新興国の方々の役に立て、喜んでもらえたことが本当に嬉しかったことを思い出し、私の強みを必要としてくれる人に喜んでもらえるような、社会貢献できることをしようと考え、起業することにしました。
日本全体のDX実現のためには、地方も含めた底上げが必要だと考え、小規模地方自治体や中小企業のDX・事業最適化のコンサル事業をすることにしました。でも、なかなか上手くはいかなかったのです。無料で全ての情報を提供してしまって有料案件の受託に繋げられなかったり、ご縁のあった地方自治体では選挙で人員が変わり全て振り出しに戻ってしまったり、ITリテラシーが低い地域ではDXの必要性を理解してもらえなかったり、土台作りでITリテラシー向上への取り組みが必要だけれど収益化まで数年はかかるかなと思ったり、といったようなことが続いて。先輩や友人に相談したところ、今までのキャリアを活かして一度会社員に戻り、生活を安定させてから、ビジネスを再構築してはどうかとアドバイスされました。そして、柔軟にシフトチェンジしながら、長期的視点で焦らず進んでいくことが大切だと改めて思い、就職活動を再開したのです。
私は外資系企業からキャリアを始めたので、20年以上、常に自分の市場価値とポジションのマーケットニーズを意識しながら、キャリアパスを築いてきました。なので、再就職への心理的ハードルはそこまで高くはありませんでした。そして、次に仕事をするなら自分が一番働きやすかった環境に戻ろうと考え就職活動を再開したところ、ラッキーなことに、人材のニーズと需要がマッチして、比較的すぐに理想的な職場を見つけることができました。担当業務自体は4年ほどブランクがありますが、とても楽しく仕事をしています。私自身の会社はというと、定年退職後のライフワークとしてやっていきたいので、業務を制限し、私自身は無報酬とすることで、法人形態を維持する許可を得ることができました。
————今後は会社員として働きながら自分の会社も経営するパラレルワークに移行予定ということですね。それにしても、面白いキャリアですね!王道じゃない、自分道を突き通していて。
そうですね。当初は、自分の天職は何だろうという思いから、転職のたびに関心のある職種に変更して、スキルアップをしてきました。キャリアが横滑りで出世していかなかったので、そこが普通のキャリア転職とは違うと思います。また、社内での異動とも異なり、幅広い経験をすべて現場の実務家レベルで経験しているので、複数の専門知識と経験を持つジェネラリストとして希少な人材である自負はあります。
ただ、今までは自分自身がもつ価値をどう伝えれば理解してもらえるのか、どうすれば必要な人に届けられるのかについての、自己検証が足りませんでした。今後どのようにセルフブランディングをしていくか、マーケティングを学んで実践していく必要性を感じています。また将来的には日本の良さをどんどん発信したい思いがあるので、ダイバーシティに関する講演活動を継続しながら、市場の動向やニーズも把握し、時が来た時に機動的に動ける体勢をゆっくり準備していきたいと考えています。久しぶりに組織で働くのは楽しいです。一人会社とは違う役割やニーズがあり、組織の中でしか経験できないことはあるなと、改めて思います。実は今、母校でキャリア相談員の活動もしています。学生たちには私の仕事経験や転職ノウハウも踏まえて、キャリアアドバイスをしていきたいと思っています。
●「自分の望む人生にするために」中央大学大学院へ進学
————ここから大学院についてお聞かせいただきたいです。なぜ中央大学大学院に通おうと思われたのですか?
外資系企業で働く中で、修士の学位を持つ同僚と同じスタートラインに立ちたかったことから、20代の頃からMBAの取得を考えていましたが、海外への進学は資金などの課題があり、一度断念しました。30代になって、2年間のキャリアの空白を作らずに学位を取れる学校に行きたいなと思っていました。中央大学大学院を選んだのは、ビジネスに関する法律を体系的に学びたかったからです。実務では、業務に関するリーガルアドバイスなども行っていましたが、知識の付け焼き刃感が否めなくて。ただ、弁護士を目指すわけではないので、ロースクールではないなと。そんな時に、中央大学がビジネススクールを設立すると知り、入学しました。
社会人大学院と仕事の両立をやり切るために、通いやすく余計な負担が少ないことも大学院を選ぶ上で重要なポイントでした。学部生だったときに片道2時間半かけて大学まで通い、距離的に遠いことがどれだけ負担になるのかを痛感していたので、通いやすさは外せませんでしたね。また、当時日曜日も授業がある社会人大学院は少なく、中央大学大学院は平日の夜間と土日に授業を分散して取れるところも、ストレス軽減ができるなと考え、選びました。
————億劫にならないためにも、通いやすさは大事ですよね…。大学院で得た「学び」というのはいかがでしたか。
「自分の知らないことは山ほどある」と分かったことが、大学院で得た最大の学びでした。大学院で学んだことによって、自分が学ぶべきことはまだまだある、一生勉強だなと思えました。
————一生勉強、その通りですね…! 大学院での研究・生活・学びについて「これは裏切られたな」ということがあれば、いい意味でも悪い意味でもいいので教えていただけますか。
そうですね…。ちょっと残念だったなっていうのは、人との繋がりをあまり作れなかったことですね。私は一期生だから先輩もいないし横のつながりも少ないので、アドバイスをもらったり相談したりする相手がいなくて。海外のMBAでは、世界中の人脈作りも進学目的の一つとしてありますが、日本の新しい大学院ではそのメリットを享受できなかったので残念でしたね。一方で、設立された直後ということで、ロースクールや中央大学関連の弁護士の先生方など、かなり有名な専門家の先生の授業を受けられたのは、とても有意義でした。
ビジネススクールに入学してから、アカデミックな専門家の先生方を見て、改めて、自分の目指すべき道を考えました。長い年月をかけて一つのことを研究している先生方と同じ土俵に立っては勝ち目がない中で、自分の強みを活かすにはどうすればよいか、と。そこで、アカデミックなベースを理解しながら実務の要素を共有する、または実務の分野にアカデミックな理論を取り入れる、など、双方に対して付加価値を提供できる、アカデミックと実務をバランスよく融合できる人材になろうと決めました。そう思えたのは、あの時期の中央大学大学院に通ったからこそだと思います。
————一期生ならではの葛藤ですね。私も一期生なので、共感する部分があります。受験準備や、通うにあたって会社への説明はどうだったかなど、教えてください。
試験は小論文だったのですが、途中時間切れになってしまい、あまりうまく書けませんでした。今思うと、もう少し準備をしておけばよかったです。なぜかというと、上位数名は学費の全部または一部が免除される特典があったからです。幸い私も少しは免除していただけましたが、もう少し上位であればさらに学費負担が減って助かったなと思って(笑)。
会社への説明ですが、実は受験したときに大学院への通学を見越して、時間的制約の少ない職種に転職をしていたので、平日夜間数日と土日に大学院に通いますが、業務に支障はありませんとだけ、上司に伝えました。同僚には、特に隠してはいませんでしたが積極的に話すこともしていませんでした。話しても「へー、えらいね」くらいで話が終わっちゃって、建設的な話が出来なかったので話す必要がなかった、という感じです。外資系企業にいたときには、海外の同僚と自己啓発の話で盛り上がっていました。「今これに興味があって、夜間学校で学んでいるんだ」って言うと、「そうなんだ、いいね、私はこれを学んでるよ」などと返してくれて、たくさん話ができて楽しかったんですけれど。
————確かに、海外の人たちって社会に出てからも当たり前にカレッジスクールとかに戻ったりしますもんね。あれは通える学校が普通にあるからというのもあるし、長時間労働じゃないからということが理由なのでしょうか?
もちろん、それもあると思います。それに加えて、キャリアアップしたいとか、こういう仕事をしていきたいっていう自分のビジョンをもっている人が多いのではないかと思いますね。
————なるほど…。日本もそうなっていけば嬉しいです。次に、大学院に通うにあたっての資金面について教えてもらえますか。
費用は自費です。大学院が貸与してくれた奨学金を無利子分割で10年かけて返済しました。
————そういう制度があるんですね。一日の勉強のスケジュールとしてはどのような形でしたか?
夜間と週末に勉強していました。大学院での授業後、退館時間まで自習室で勉強していましたね。レポートは深夜に自宅で対応しました。修士論文執筆は仕事を休んで仕上げました。海外でインタビューやヒアリングをし、修論提出直前は、10日間連続で有給休暇をとって、自習室に篭って仕上げました。
●大学院は「理論」を学び直し、付加価値をつける場所
————中央大学大学院を卒業されてしばらく経った今、髙橋さんにとって、大学院とはどんな場所だと言えますか?
それぞれの分野の専門家から理論を学べる場所です。基本の理論を学び、実務と融合して相乗効果を発揮できるようになるからこそ、イノベーションができるのだと思います。ですから、ある程度実務を経験してから、大学院で理論と様々な手法を学んだ後、知識と実務を融合しながら実際に社会で課題解決をしていく、というのがいいのではないでしょうか。実態と理論の両方が分かっているからこそ、現状を壊して新たなイノベーションができると思うので。大学院は理論や基本を学び直し、社会の中で自分がやりたいことをするための更なる飛躍にむけた準備をする場所だと言えると思います。
————なるほど。髙橋さんは、どんな人が大学院に行くべきだと思いますか?
まずは、自分が本当にやりたいことやできることが見つかっていない人ですね。大学院というのはいろいろなことを学べる場所なので、「実は自分はこんなことができたのか!」ということに気づけます。あとは、いつもと違う環境で視野を広げたい人。大学院には様々な文化をもった人が通うので、もともと自分にはない価値観を獲得できます。最後に、大学院で学ぶことで自分のスキルレベルなどを知ることができるので、自分にできることやできないこと、またそのレベルを客観的に知りたい人にも勧めたいですね。
また、学ぶ目的に応じて海外の大学院に行くのか、日本の大学院に行くのかを決めるといいと思います。例えば、海外のビジネスについて知りたいとか、英語で学びたいというのが目的であれば外国の大学院に行くと良いでしょう。逆に日本の大学院は、日本のビジネスや実態を学んで、そこを強みにしたい人が行くといいと思います。私が海外の大学院ではなく日本の大学院を選んだ理由は、日本のビジネス法務に精通したかったからでした。今まで出会った人たちの中でMBAホルダーはたくさんいましたが、日本のビジネス法務に明るいMBAホルダーというのはほとんどいませんでした。だから、日本のMBAで日本に特化したビジネス、私の場合、日本のビジネス法務ですが、それを学べば、他のMBAホルダーと差別化できると考えたのです。なので、もし私と同じように差別化を目指して大学院を選ぶとしたら、日本にある大学院だとしても海外のカリキュラムをコピーしているところよりも、日本独自のカリキュラムを用意しているMBAに行くほうが良いと思います。
————目的に応じて国内の大学院を選ぶのか、海外の大学院を選ぶのかも大切だと言うことですね。最後に、パラレルキャリアを歩まれる上での思いについてお聞かせください。
私はライフワークをするための事業会社を起業しましたが、準備不足もあって経営が上手くいかず、今回、再度大きな組織に戻りました。利益相反等を防ぐために、自社の業務範囲が制限されてしまったにも関わらず法人として残しているのは、定年退職後など、新たな人生を再出発する時の基盤にしたい、という理由からです。大きな組織では、いずれ定年退職を迎えます。その後に自分がどのような人生を歩みたいか。ライフワークを本稼働する時にスムースな再スタートを切るために、今度こそしっかり準備をしておきたいのです。
これからは時間をかけて、ビジネスアイデアなどのトライアンドエラーを繰り返しながら、最適なビジネスサービスを構築して、万全の準備を行います。人生100年時代、十分な年金をもらえなくなる可能性が高い高齢化社会では、何歳になっても働ける環境を自分自身で作ることもとても大切だと思っています。それがウェルビーイングにも繋がると思うので、自分の会社をこれからも大事にしていきたいです。
————とっても刺激的なお話しでした、今後も応援しています。本日はありがとうございました!
ラーニングコミュニティのお知らせ🐘
Elephant Careerでは、社会人大学院受験を応援するラーニングコミュニティ、えれキャリ+を運営しています。2ヶ月間の短期集中で、読書会をベースに入学後も役立つ自律的な学びをサポートします。
その他には、実務から芽生えた課題感やモヤモヤを研究計画書に仕立てるお手伝いや、キャリア棚卸しでなぜ今大学院が必要なのか、一緒に言語化していきます。ただ受験に合格するだけではなく、本質的にみなさんのキャリアにとって社会人大学院へのチャレンジがプラスになる伴走をしていきます。
・お申し込みはこちらから
・「まだ申し込むかわからないけど質問・相談したい!」という方は、お気軽に問い合わせフォームからご連絡ください