働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は筑波大学大学院 ビジネス科学研究科(現、人文社会ビジネス科学学術院ビジネス科学群)を修了された松田 裕之さんです。
大学卒業後は経営コンサルタントの道に進み、 手触り感とAIへの興味からデータサイエンティストへ転職。同時期に、筑波大学に入学します。現在の仕事にもつながる筑波大学での学びや、自身の大学院に対する考え方をお話を聞きました。
2010年に野村総合研究所に入社。主に海外進出支援に従事。2016年に日本アイ・ビー・エムに入社。データサイエンティストとして人工知能Watson・機械学習技術を活用するシステムの技術検証を主導。主導したテーマは、自然言語分類、最適化計算、画像分類・物体検出等。2019年7月に同社を退職し、Nishika株式会社を創業。
東京大学および大学院、筑波大学大学院修士課程修了。大学院での研究テーマは自然言語処理技術による語義曖昧性解消。
▶Twitter:@mhiro216
卒業・修了した大学・大学院:筑波大学大学院 ビジネス科学研究科(現、人文社会ビジネス科学学術院ビジネス科学群)
入学年月(年齢):2017年4月入学(31歳)
修了年月(年齢):2019年3月修了(33歳)
●学生時代は抗がん剤を包むカプセルの研究。その後経営コンサルタントの道へ
————社会人大学院の前に工学部に在籍していたとお聞きしました。どのようなことを研究していたのでしょうか?
はい、東京大学の大学と大学院に在籍していました。実験系の学部で、分野は高分子合成や化学です。専門用語で恐縮ですけれど、「ドラッグデリバリーシステム」と呼ばれる抗がん剤を高分子で作ったカプセルの中に入れて、がん細胞に届ける研究をしていました。
抗がん剤薬はそのまま体内に入れると、血中で簡単に壊れてしまいます。そのため保護するためにカプセルに入れるのですが、がん細胞に届いたときに壊れないと、薬の効果は得られません。がん細胞に届いたら壊れるけれど、血中では壊れないカプセルを作っていました。学部と大学院を通じて3〜4年ぐらい研究していました。
————その化学系の研究をされて、ファーストキャリアは経営コンサルタントだったんですね。
そうですね。
————経営コンサルタントを長年していて、データサイエンティストになられたことをきっかけに社会人大学院に進学されたという感じですかね。
おっしゃっていただいた通りです。経営コンサルタントをやっていた時期に既に社会人大学院の入学試験を受けて、入学することも決まっていました。ただ、ほぼ同じ時期に転職も決めたので、転職をして2〜3ヶ月後から、社会人大学院の生活が始まった感じです。
————データサイエンティストになることを見据えた上で、受験をしていたんですね。
●手触り感とAIへの興味からデータサイエンティストに転職
————データサイエンティストへの転職のきっかけはどのようなものだったのでしょうか?
シンプルに自分の手をもっと動かして、物事を作って変えていきたい気持ちが強くなったことです。いわゆる「手触り感」が欲しかった。
経営コンサルタントは結構机上で語ったり、いろいろな計画や戦略を練ったりする仕事が多いんです。その分、立場が第三者的になるところが気になっていました。就職する前には、そのような仕事だとわかってはいたのですが、4〜5年くらい働いたときに物足りなさを感じました。
———— AIについても興味をお持ちだったんですか?
はい。当時、AIが非常に流行っていたこともあって興味がありました。自分でそういったものを作ることで手触り感も得られるのがよかったですね。
————なるほど、そのような経緯でデータサイエンティストの職に就いているんですね。
はい。面白そうだっていう気持ちと、手触り感が欲しいっていう気持ちの2つを満たしてくれる、データサイエンティストを目指そうと思いました。
●研究計画で感じたゼロベースから作り上げる難しさ
————少し受験準備についてお聞きします。小論対策が難しく研究計画を練ったということで、やはりかなり時間をかけられましたか?
そうですね。生みの苦しみみたいなのがありました。私自身、元々情報系の分野で研究をしていませんでした。また経営コンサルティング業務の中では、AIに関連する仕事はありましたが、技術的な内容に深く突っ込むほどの経験はしていなかったです。
知識不足で、問題意識もフワッとしていたので、なかなか生み出せなかったことが苦しかったです。
————ゼロベースでここまで作り上げるっていうのは、自分の中で体系的にその領域を理解しないといけないですもんね。
研究計画書では、今の仕事での問題意識と、なぜこのテーマを選んだのかっていうのを関連付けて書いています。最先端のテクノロジーとビジネスとのギャップを埋めていきたいといった内容を書くのは難しくはなかったですね。しかしそのあとの、具体的な研究内容を書くところは何をしたら良いのかがわからなくてなかなか難しかったですね。
————なるほど。 研究計画書では、自然言語に着目していますが、以前からこの部分に課題感はあったのでしょうか。
課題感は元々あったというよりも、いろいろ論文の調査とかしている中で見つけました。また僕の興味関心が、データ分析の中でも、自然言語でした。
現在のAIは、画像に対して精度が高いものができています。しかし、自然言語は意味や文脈の理解をする必要があり、当時から現在にかけて非常にハードルの高いものになっています。その中で新参者の僕が学んでも、結構できることがあると思って、自然言語に注目していました。
————ちなみに最後に書かれた修士論文は、全然違うテーマだったんですか?
はい。情報系の自然言語処理がテーマですね。
例えば「YAMAHA」と書かれていたときに、それが楽器を指しているのか、それともオートバイを指しているのかを正しくAIに判断させるようなことをしていました。表面的には同じだけれども、違う意味を持つ言葉は結構あります。これはAIに自然言語を理解させようとしたときに1つの大きなハードルになるんですね。これを語義曖昧性解消と言い、言葉の意味の曖昧性を解消する作業をAIにさせる研究に最終的に変わりました。
————修論のテーマとしては確かに違うんだなということはわかりました。使っている技術や分析方法とかも全く違いますか?
そうですね。かなり変わりました。
●情報系の授業・研究室の多さから筑波大学への進学を決める
————情報系のバックグランドがない中で、筑波大学にした理由をお伺いできますか?
私も経営コンサルタントから、データサイエンティストと全く畑違いの領域に行くので、情報系の専門分野を持っている大学院を探していました。
筑波大学は特殊で、MBAと名がついていますが、情報工学系の授業や研究室も多いです。MBAでありながら情報系の色が強いという意味では筑波は社会人大学院の中で、1番有名だったのかなと思います。
————同僚の先輩のすすめもあったとか?
はい。会社の先輩で筑波大学の社会人大学院博士まで行ってらっしゃる方がいて、「良かったよ」と言っていました。
————確かに、畑違いの化学から情報系に進むならば、広い領域を学べるところが良いですよね。松田さんが通っていたのは、ビジネス科学研究科ですか?
そうですね。私の通っていた頃はビジネス科学研究科でしたが、現在は人文社会ビジネス科学学術院ビジネス科学群になっています。もしかしたら私の在籍時よりも学べる分野が増えているかもしれません。
————やはり群がついてると、何でもありというか、いろいろなことを学べるようですね。
●筑波大学で得られたのは人とのつながり
————筑波では、どのようなことを学んでいたのでしょうか?
僕の場合は、目的が経営コンサルタントからデータサイエンティストへとそれなりのキャリアチェンジがありました。新卒ではない中で、キャリアを思いっきり変えるときには、やはり社会人大学院などの外部で学ぶ必要があると思っていました。情報系の知識を身につけることは必須事項だったので、その部分に対しての大学に行ったことによる貢献度は本当に大きかったです。
会社にいるだけだとやはり目の前の業務で手一杯になってしまうこともあるので。大学で勉強したことは業務でも直接活かせているので、行って良かったという思いが総じてあります。
————研究室のメンバーにはどのような方がいらっしゃったんですか?
研究室のメンバーは、私と違って情報系に元々いた人もいました。そういった方と知り合える機会が得られたのは良かったです。
経営コンサルタントの世界と、システムエンジニアやデータサイエンティストのいる世界は本当に違います。お互いが出会う機会はほぼありません。両方の世界にいたので非常にわかるんですけれど、それが研究室にいたことで出会えたところはありました。勉強という意味でも、人的なネットワークという意味でもターニングポイントにはなったかなと思います。
————学びに限らず、何か他に印象に残ったことはありますか?
そうですね。僕の場合、やっぱり仕事以外で新しい友人ができたことは大きな財産になりました。社会に入って友達ができないわけではないですが、やはり難しいですよね。みなさんそうかなと思うんですけど。僕の場合は、趣味のサークルに入ることもあまりありませんでした。
しかし筑波大学に行ったことで、2年間一緒に通って、結構仲の良い友人もできました。年齢もそれほど離れていないですし、性格も少し似ているんでしょうね。わざわざ社会人大学院に通うちょっと変な人たちなので(笑)。いまだに付き合いが続いているので、大学に行って良かったなと思います。
————ありがとうございます。大学側がスクリーニングしてくれていますよね。
そうですね。やはり似たような人が集まります。
●現在の事業にもつながる数理最適化の授業
————筑波で面白かった授業を教えてください。
印象的な授業は、数理最適化です。当時はこの技術で何ができるかなどは知らず、なんとなくその授業を取りました。
この数理最適化は、配送計画とかアルバイトのシフトとかに応用できます。例えば、シフトを人の手で決める場合、条件を考慮した上で考えて組むのは難しいですよね。条件とは例を上げると、その日にアルバイトは何人いるけれど、正社員は必ず1人いなきゃいけないとかです。あとは、労務的なものもあるので、週に7日働かせたらまずいとか。休日と平日の勤務のバランスとか。数理最適化は、条件をうまく数式にすることで、ボタン1つでシフトが作成できます。
結局勉強は、純粋に学問で終わっちゃうみたいなとこもあります。しかし、これはもう最初授業を受けた瞬間から「現実の問題設定が大前提にあって、普通に仕事に活かせる感覚」をいきなり持ちました。応用分野が非常に広く、学んだときはこのような革命的なものがあるのかと思って感動したことはいまだに忘れられないですね。
————理科大のときに、私も学びました!配送スケジュールやシフトは本当にこのまま応用できますね。
これには感動しましたし、結局IBM時代も今も、この技術を使った仕事を、受けているんですよね。今は実際に物流会社で、どのような順番で配達先を回ると1番効率的かを考えるプロジェクトも進めています。そこに数理最適化の技術を使っています。
本当に筑波で学んだことが、仕事の受注にまで直結しているので、僕に対して影響を与えた学びでした。
————今の仕事にも活きているんですね。そのプロジェクトには筑波の同期などは関わっていますか?
同期ではなく、先生にアドバイザーとして参加してもらっています。未だに筑波時代の遺産で食べているみたいなところが少しありますね。
————今お話を聞いていて、社会人独自の考え方があるなと思いました。これを学生時代に学んだときに、私は「明日にでも使えるじゃん」って考えられなかったですね。しかし1度働いてから学び直すと、「社会の課題に置き換えて考えられるようになるな」と松田さんのお話を聞いて思いました。
本当にそうですね。現実の何か現実の問題設定に、何か適用しようっていう発想がすぐ出てくるのは、確かに学生時代はちょっとできなかったかもしれないですね。
●大学進学は周りにも関わる大きな決断。理解してもらうことに苦労はなかった
————少し人生松田さんの人生についてもお聞きします。人生において、自分のあり方で大事にしていることは何ですか?
「いつまで人生が続くかわからないので、やろうと思ったことはすぐやること」ですね。
————なるほど。大学院に進むことも周りに影響のある大きな決断になったと思うのですが、パートナーの方や会社への説明、入学のときに困ったこととかっていうのはありましたか?
まずパートナーは「あっそう」「頑張れ」みたいな感じで。非常に他の事に関しても理解の深い人なので、全く困りませんでした。会社も結果的に寛容で、僕はIBMに対しては中途で入って「大学院、もう行っています」みたいな話をしました。許可を取るよりも事後報告みたいな感じでしたね。IBMの空気として、何かやっていることに対してそれほど干渉しません。特に私の上司は「やることやっていれば良いよ」みたいな空気でした。
少し参考にならない話でありますけれど、周りの理解を得ることに苦労はあまりありませんでした。単純に忙しい仕事とか、出張の中でいかに大学院に通うかの方が大変だったかなと感じます。
————プロジェクトベースの業務だから緩急もあるし、それに合わせて通うのも大変だと思います。
そうでしたね。僕は岡山への出張プロジェクトに結構入っていたので、行かない日に授業を取るみたいな感じで、基本的にやりくりしていましたね。
————資金面に関してはもう完全に自費という感じですよね?
はい。完全に自費です。
●今後は博士後期課程へ進学したい
————卒業して少し経って、ご自身で起業をされたとお聞きしました。何か今後のキャリアイメージとか、当時学んだことをまた別のところで活かしてみようかなとか、何か思っていることや考えていることはありますか?
はい。ずっと思っていて実行できていないのが、博士後期課程に行くことです。やはりデータ分析とかデータサイエンスっていう領域なので、結構しっかり博士まで研究をやってらっしゃる方も多くいます。そこまで行くのが当たり前ではないですけども、価値の高い業界だっていうのもありますし、あとは仕事しながら研究していて、正直片手間で学んでいた修士の生活だったので、学びきれている感じはあまりありません。
きちんと構造化して、知識が頭に入っている感じもないので、しっかり博士後期課程に行って学びたいなって気持ちはずっとこの3年ぐらいあります。ただ立場上、全然時間がないところが本当に悩みなのですが、いつか行きたいと思っています。
————筑波に戻ろうかなとか、海外に行こうかなとか何か構想はあるんですか?
そうですね。筑波に戻るのが1番やりやすいとは思うし、現実的ではあるかなとは考えます。先生も「いつでも来いよ」という感じなので。
ただ情報系だと、別に日本だけが対象ではありません。今リモートで学ぶ方法も当たり前になってきているので、広く世界に勉強しに行ったら面白いかなと考えています。ただ会社を経営しながら通うのは、現実的に難しいと思っています。
————起業家の方になかなか話を聞く機会がなかったので、勉強になりました。やはり立場もあるし、とはいえ研究もしたいしってジレンマはありますよね
●大学院で学ぶことはキャリアの幹を枝分かれさせること
————松田さんにとって、世の中に1度出てから学ぶことや大学院に通うことは、どのようなイメージがありますか?
どうだろうな。やっぱり「可能性をとにかく広げる」というか。一般的には、直線的にキャリアや人生を築いていくと思います。大学院はその中で、何か強引に分岐を作るような、枝を出して、どのようになるのかを試してみる感覚です。
大学院は、ずっとまっすぐ行く幹みたいになっている人生を、強引に枝分かれさせて、何が起こるのか実験をする良い道具やツールという感じですね。少なくとも僕にとってはそういう世界だったなって思います。それは純粋に学んだことが役に立ったこともありますし、出会う人も1人として本当に同じ会社の人もいませんでした。非常に人間的な意味でも選択肢が広がりました。
————良いメタファーですね。
ありがとうございます。僕の場合、気がついたら分かれた枝の方が全然大きくなっている感じですね。
————確かにそれもまた良いですよね。そしてもっと太いのが出てくるかもしれない。
そうですね。
●キャリアを変えたい人に大学院進学をすすめたい
————どのような人に進学をすすめますか?
どのような人にも皆さん行ったら良いんじゃないかみたいなところはあるんですけど(笑)。僕の場合は、思いっきりキャリアを変えてみたいと思っていて、大学院を駆動力にしたところがありました。なので今の状況を少し変えていきたいとか、何か違う自分の能力を出したいとかを思う人に強くおすすめしたいと思います。
新しいキャリア形成には、転職っていう道もあるんですけれど、やっぱり中途採用は即戦力を重視されると思います。そういうときにやっぱ大学の力を借りるっていうのもあるかなと思いますね。
————そうですね。なかなか職種を変えて、中途採用で転職するのは難しいですね。同期の方で実際にキャリアチェンジをした方はいますか?
はい。同期に40歳ぐらいの方がいて、キャリアチェンジしていました。その方は、すごく大きなIT系の会社でマネージャーとして働いていました。大学院に通ったことでデータ分析系に転職して働いています。
この方は、大学の力を借りてキャリアチェンジをする典型的な例だったのかなと思います。やはりキャリアチェンジを考えている層にはすすめたいなと思いますね。
————その方もすごいチャレンジですね。自分の力で人生の道を曲げたい方にすすめたいと。私もすすめたいです。今日は貴重なお話をありがとうございました!
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