「ふつうのサラリーマン」だった自分が海外MBAを目指して見えたもの。 ペンシルバニア大学ウォートン校

働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」

今回はペンシルバニア大学ウォートン校MBA(経営学修士)過程を修了した高野亮さんです。

 

大学卒業後は保険会社に入社。会社のプログラムで青年海外協力隊として行ったフィリピンで「社会課題をビジネスを通じて解決したい」という思いを強めたそうです。その後、ひょんなきっかけで海外大学院でのMBA取得を目指すことに。「何かを成し遂げるためには努力が必要」と語る高野さんのこれまでの軌跡についてお話を伺いました。

 

高野 亮さん

2008年新卒で第一生命(現第一生命ホールディングス)に入社。中小企業の法人営業等を経験した後、人材育成の一環で13年より2年間JICA青年海外協力隊としてフィリピンに派遣。帰国後は東京本社や米ニューヨークにて海外事業に携わる。2022年1月ユニファへ入社。関西大学法学部、ペンシルバニア大学ウォートン校MBA卒。趣味は食べ歩きやゴルフなど。

卒業・修了した大学・大学院:ペンシルバニア大学ウォートン校MBA
入学年月(年齢):2019年5月(33歳)
修了年月(年齢):2021年5月(35歳)

自分には関係ないと思っていたMBA

——— 最初に学部時代のお話から伺いたいのですが、関西大学法学部を選んだ理由は何だったんですか?

大学附属の高校に通っていたので、受験をする感覚が当時全くなかったんですよね。一応、校内で試験があるのですが、法学部はその当時いちばん偏差値が高かったというのが理由だったりします。なので、何の参考にもならないと思います(笑)。




——— では当時の高野さんは、ゆくゆく海外で仕事をしたり、MBAを取得するとは……

全く考えてなかったですね。大学は空手部に所属していましたが、まわりに民間企業に就職するような先輩も少なくて超ドメスティックな環境で、海外すら意識することない大学生でした。

初めて意識したのは就職活動のときでした。「民間企業に就職して海外で働く」という選択肢があることをそこで知って、やっと海外に目が向き始めました。



——— そんな高野さんがいつどんなきっかけで海外MBAに興味を抱いたのかも気になるので順番に聞いていきますね!卒業後は、新卒で第一生命(現第一生命ホールディングス)に入社されたと。

そうですね。入社して最初の3年間は、千葉県成田市の支社で中小企業向けの営業をしてました。その後の2年間は資産管理サービス信託銀行(現日本カストディ銀行)に出向しました。そして入社5年目のときに、会社の人材育成プログラムで、海外トレーニーとして渡航できるものに応募したんです。

実は、3年目のときにも1度応募したのですが、そのときは落選してしまって。5年目になって「やっぱり行きたい」という想いが出てきました。公募を見ていると、前回はなかった青年海外協力隊として2年間フィリピンに行くプログラムが目に入って。仕事内容もおもしろそうですし、他のプログラムと比べて明らかに異質なので、ライバルが少ないのではと見積もって応募してみたら運よく通ったんです。



——— フィリピンでの2年間はいかがでしたか?

過酷ではありました……だけど、人生が変わった経験だったと思いますね。

寄付活動の限界もそこで目の当たりにしました。寄付で病院を建てても、その後全く使われてないようなケースもたくさん目にしましたから。そういったことを通じて、寄付だけでは限界があり、ビジネスを通じて持続可能なサイクルをまわすことの重要性、ビジネスだから解決できる社会課題があることを肌で感じました。



——— そこでの気づきが現在のお仕事にも繋がっていくんですね。フィリピンから帰国後はすぐに海外の大学院に進学することを決めたんですか?

帰国後は東京本社の海外事業部に配属になり、そこで3年間働きましたね。あるとき、上司がふと「MBAとかどう?」って勧めてくれたんです。会社のプログラムには社費で海外の大学院で学ぶプログラムもあって。そのときにはじめて「MBAか……」って思ったんですよね。それまではMBAって会社の中のエリートが受けるもので、自分には関係ないと思っていたので。意識すらしたことなく、端から自分には無理だと決めていて。

ただ、ちょうどその当時アメリカの子会社の経営管理をしていた関係で先方のカウンターパートとやりとりをしていて。たまたまその方がニューヨークのコロンビア大学でMBAを取得していた方だったんです。そこでいろんな話を聞くうちに、MBA取得を通じて得られるハード・ソフトなスキルの重要性を認識したのが1つのきっかけでしたね。

日本人は自分だけ、まわりは米メジャー企業出身者

——— ペンシルバニア大学ウォートン校を選んだ背景はどういったものが?

留学兼駐在ということで、ニューヨークの現地法人で勤務しながらMBAを取得することになりました。1年目に受験の準備、2年目から入学というかたちです。つまり、ニューヨークから通える大学ということになるので、おのずと選択肢は狭まるんですね。社内で同様のプログラムを活用していた先輩方を見ても、コロンビア大学かニューヨーク大学を選択するのが王道でした。ウォートンってニューヨークから特急電車に乗っても1時間半ぐらいかかるので少し遠いんですね。

ただ一応見学に行ってみたんです。行ってみると、ウォートン校って「ザ・アメリカンな大学」といったキャンパスの雰囲気がすごく素敵で……そこに惹かれたというのと、もう1つは、私がMBAで一番学びたい分野だったファイナンスがとても有名な学校だったというのも決め手でした。その他にも、私の性格的に他の人が行ってないところの方がよかったっていうのもありますが(笑)。



——— 会社にとっても、新しいネットワークが生まれるのはいいですよね。実際にウォートン校での学びはいかがでしたか?

そもそもMBAではハードとソフトの両面でスキルを磨きたかったんです。

ハードは特にファイナンスの分野ですね。本社で働いているときもアカデミックなファイナンスを理論的に理解した上で実践できる人って社内でも極々限られていました。会社のなかでの希少性で言うとソフトも同じで、海外事業部で働いていたときに、海外の人たち相手に交渉したり、リーダーシップを発揮してチームビルディングをできる人って少なくて。語学力も含めて、グローバルな環境でも仕事で価値を出せるソフト面のスキルも欲しかったというのがありますね。

そういう意味では、ウォートン校では両者とも満たすことができたとは思いますね。



——— それは素晴らしいですね!

ファイナンスは、もう本当に自分自身でも「めっちゃ勉強した」っていう自負がありますけど、本質的なところまで深く理解できたのでいろんなことに応用できそうだなと。ソフトスキルの面でも、卒業後にニューヨークで働いていてアメリカ人ともやりとりするんですが、そのなかでやっぱり圧倒的にレベルアップしている実感があって。

他に印象的だったのは、意思決定に関する授業ですね。ウォートンって、ファイナンスも含めて、データドリブンな意思決定を徹底していて、揃えられる数字が限られているときも、ニュートラルに情報を集め、その情報を前提として意思決定をすべきという教えでした。日本って「誰が言っているか」に意思決定が左右されてしまうこともあるじゃないですか。そういう意味でビジネスの本質を教えてもらったと感じています。



——— 初めての海外留学だと思いますが、学校の環境にはすぐに馴染めましたか?

入学したら日本人は私1人で、最初は圧倒されていました。もちろん英語はネイティブスピーカーでもないし、まわりはアメリカの有名企業から来ている人ばかりでその雰囲気に気圧され気味でしたね。

でもグループワークとかやってみると、能力的に負けているわけじゃないことがだんだんと分かってきて。日本にいた頃に一緒に働いていた同僚の方がすごかったなと思う場面もあったくらい。もちろん同級生のなかにも本当にすごいと思う人もいましたが、日本人が劣っているわけではないということが分かってきて。

一方で同時に疑問も湧いてきました。根本的な能力の差はないはずなのに、人を巻き込む力だったり、シリコンバレーを代表するようなエコシステム、ビジネスが発展するような仕組みの構築力が、日本とアメリカの間に大きな違いとして存在している。それってなぜだろうと。その問いにはまだ答えは出ていないのですが。

出願用のエッセイを書きながら再燃した思い

——— 少し時間を遡りますが、受験準備は仕事をしながらすすめたんですか?

そうですね。めっちゃ大変でした。仕事が終わってから、毎日2〜3時間、休日は10時間くらい勉強していました。受験科目は一般的なMBAと同じでしたが、GMATはエグゼクティブ・アセスメント(EA)というのがあって、問題の内容は同じですが問題量が圧倒的に少ない簡易版のものでした。ただ結局は、勉強内容はGMATと同じなので、準備の大変さは変わらなかったですね。

TOEFLは月1回は試験を受けてました。基本的には過去問をやり抜くしかないんですけど、それと単語勉強をひたすらやるっていう感じで。これもまぁつらかったですね……(笑)。



——— それとエッセイも。

はい。エッセイは大変でしたが、いいプロセスでもあったと思います。問いは3つあって、「なぜMBAか、MBAで何を学びたいか」「アダム・グラント教授のTEDトークを見て、どう思うか」「学校と仕事とプライベートをどうマネジメントするか」だったと記憶しています。アドバイザーにもついてもらって、自分のなかにあるものを深掘りするいい機会でした。

アダム・グラントとは
1981年生まれ。アメリカの心理学者。現在、ペンシルベニア大学ウォートンスクールの組織心理学を専門とする教授を務める。主な著書に『GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』(三笠書房)。近著には『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』(三笠書房)も。




——— エッセイを書くことを通じて、MBAを目指す意味をあらためて明確にできたという方は他のインタビューでもいらっしゃいました。

まさにエッセイを通じて、結局「自分は人生で何を成し遂げたいか?」という問いに向き合って考えて、そこでフィリピンで抱いた「社会課題を解決するビジネスをやりたい」という思いが再燃したといいますか。やっぱり、これなんだろうなって。社費留学なので当時は会社に戻ったら社内で社会課題を解決するビジネスを始めようと思っていました。



——— 結果的には、現在の会社に転職することになりますよね。MBAを経てからこそ、キャリア観が変わった部分はあったんですか?

同級生のなかには起業する人もいて、それを見てリスクを取ってるなと思ったんですよね。人生をかけて、MBAで培った知識、ネットワーク、経験をレバレッジしてるのを見て、すごいなって。根が単純なので感化されて。

それと授業の中で言われたことが印象に残っていて。それが「一つの会社で勤め続けることの方がリスクだ」っていうもの。聞いたとき、それはその通りだなって思ったんです。そこで転職も視野に入れながら、いろいろな会社を見ているときに今の会社に出会いました。上場準備だったり、手触り感を持って経営に関与できる仕事ができそうな点も魅力に映りました。

5年後のことも、いまは分からない

——— これまでのキャリアを伺ってきましたが、この先のことで考えてることがあれば、ぜひお聞きしたいです。

これもMBAの教えの一つなんですが。将来的なキャリア像を定めた上で、逆算して次に何をするか考えろってよく言われますが、今はもう5年先のことも分からないじゃないですか。だから先のことを固めるって無理なうえにナンセンスって言われたんです。それはそうだなと思って、いまは将来的なキャリアをがちっと固めていないんですよね。

ユニファっていう会社に入って、自分がこの中でどんなバリューを発揮できるかっていうところを常に考えて、足元に集中してるって感じです。その中で見えてくることもあると思うので、その時にまた考えればいいかなって。

思えば、世界でもトップクラスのビジネススクールで自分がMBAを取るなんて新卒で入社したときは全く想像していていなかったんですよね。



——— いまの自分にできることを一生懸命やっていった先に、全く思い描いていないことに繋がるという……

この留学の経験は、できることを着実にやっていくと、いまは思い描いてない未来に繋がることが、自分のなかで証明されたというか、そう思えるきっかけになった意味でも私にとって大きな経験でした。何かを成し遂げるためには努力が必要っていうのは、心の底から思います。ウォートン校で学んだことがいまも活きていますし、大きな自信にはなっていますね。



——— 社会課題を解決するビジネスというのは変わらないテーマとして高野さんの中にありそうでしょうか。

それは今後も変わらないと思います。社費で学ばせていただいたというのもあるのですが、これまで勉強してきたことを次は社会に還元していきたいです。



——— ありがとうございます。では最後に、高野さんはどんな人に大学院進学をすすめますか?

そうですね……先ほどの話に繋がるんですけど、自分がアメリカのMBAを取れるなんて全く想像していなかったんですね。MBAでも大学院でも「自分と違う世界だな」「自分には無理かな」って思ってる人にとって、私の人生が何かの参考になったらそれは嬉しいです。学歴が華々しいわけでもなく、普通のいちサラリーマンとして働いていた私でも海外でMBAを取れたので、もし迷っている人がいるなら背中を押したい気持ちです。

 

インタビュー・編集:秋山 詩乃
執筆:中田 達大

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