働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は一橋大学大学院経営管理専攻経営管理プログラム(ホスピタリティマネジメント)で学ばれた、かえるさんです。
リーマンショックに遭遇したかえるさんの決断を後押しした言葉、銀行で働くうちに抱いた疑問、コンサルへの転身と一橋で学んだこと…ひとつの想いがどのように軸となりご自身を支えてきたのか、MBAでの学びがどのようにご自身を成長させたのか、興味深いお話が伺えました。
これからも学び続けたいとおっしゃるかえるさんの今後に、注目したくなるインタビューです。
通訳を目指し、外国語学部のある大学へ進学。博士前期課程を修了後、銀行に入社し行内最大の国内支店で法人営業に携わる。その後、財務企画を経て海外駐在。退社後帰国し、会計ファームにてコンサルティングに従事しながら一橋大学大学院経営管理選考経営管理プログラムにてMBA取得。USCPA(米国公認会計士)・公認内部監査人。
卒業・修了した大学・大学院:
一橋大学大学院経営管理専攻経営管理プログラム(ホスピタリティマネジメントプログラム)
入学年月(年齢):2019年4月(33歳)
修了年月(年齢):2021年3月(35歳)
●尊敬する2人の言葉で決めた銀行入社
————どんな経緯で一度社会に出てから大学院で学ぼうと決意されたのかお伺いしたいのですが、もともとは語学がご専門なんですよね。
はい、通訳を目指して東京外国語大学に入り大学院まで進んだのですが、途中で通訳は自分に向いていないな、と思ってしまって。よく考えればわかることですが、通訳は人が話す言葉だけを訳す仕事なので、自分の考えを発表する機会なんてほとんどなく、向いてないと思いました。ゼミも自分なりに頑張っていたのですが、思い描いていた世界とはまったく違って面白いと思えなくなってしまったんです。これがキャリアの方向性を変える最初のきっかけでした。
さらに就活を迎えたタイミングで、リーマンショックによる経済停滞に直面。語学を生かしてメーカーで海外営業をやりたいと考えていたのに、メーカーが軒並み採用数を減らしていてなかなか内定が出ず、受かったのは銀行と縁もゆかりもない地方に本社があるメーカーだけ。どちらを選ぶか悩んで、当時最も尊敬していた2人の方に相談しました。
1人目は、ゼミの教授です。銀行出身で通訳になった方で「もし将来通訳に戻りたいと思った時も、金融の知識は役立つし金融関連の通訳ができるというだけで武器になる。世の中に通用する知識を身につける意味でも、絶対銀行がいい!」と言われました。
2人目は、バイト先の弁護士事務所の所長だった弁護士さんです。元は証券マンだったのですがバブル崩壊で会社が倒産、別の業界に移ったらその会社も倒産し、独学で弁護士になったというスーパーサバイバーで、この方も銀行に行きなさいとおっしゃいました。おふたりからの言葉が大きな後押しになって、銀行に決めました。
特に弁護士さんの言葉は重くて、こういう世の荒波にも負けず生きている方が銀行に行けとおっしゃるんだから間違いない、と思いました。
————当時そんなに尊敬できる方が二人もいらしたのも、かえるさんご自身がちゃんと世の中を見ていらしたのも、すごいですね。
リーマンショックがなければ、ここまで考えて決断しなかったかもしれません。私は大学院に進んでから就活に臨んだので、学部時代の同級生より専門性を高めているという自信がありました。同級生たちは学部卒でも内定が3つ4つ出て当たり前だったので、同じようにやれば内定なんて余裕ですぐ出るでしょ、と思っていたんです。それがたった1年ですっかり変わってしまった。「どんなに自分が頑張っても、人智を超えた力でどうにもならない日が来るんだ」と思い知りました。最近だとコロナ、ちょっと前だと震災も同じような情況ではないかなと思います。
●どこででも生きていける自分を作る
————今までインタビューしてきた中で、かなり多くの方から就職氷河期やリーマンショックなど自分ではコントロールできないことに遭遇して、その葛藤の反動で大学院へ行った、という話を伺っています。事前質問の「人生で大事にしていることは?」という問いに「どこでも自分で生きていける自分でいること」と答えてくださいましたけど、かえるさんも自分ではコントロールできないものに立ち向かってきたから、こう思うようになったんでしょうか。
いえ、実はこれ、その弁護士さんに言われた言葉なんです。「僕自身は性別で人を分け隔てするのは好きではないけど、現実の世の中では女性は労働市場で不利になりがちだ。結婚や出産などキャリアを中断しなければいけない機会が、男性より多い。ずっと働きたいと考えるなら、どこででも生きていける自分をどうやって作るかよく考えなさい」と。
会社が2回倒産しても弁護士として第一線で活躍されている方の言葉ですからすごく説得力があって、ずっと自分の心に残っています。自分のキャリア観に、いい影響を与えてくれました。
————なるほど!この時からかえるさんの中で続いている言葉なんですね。なんだかワクワクする話ですね。
●自分のキャリアは自分で切り拓く
————銀行では国内法人営業から財務企画、海外駐在へと進まれたそうですが、その間にやっぱり銀行じゃないな、という思いが芽生えたきっかけは何だったんでしょうか?
初めのうちは金融のスキルを身につけることができて非常に勉強になると感じていたのですが、30歳ぐらいの頃「このまま日本の銀行で総合職を続けても、何も残らないんじゃないか」と考えるようになりました。銀行は3〜5年に1度異動があり、それも専門分野や近い領域内での異動ではなく営業の次は財務管理、次は人事、次は総務、というようにまったく違う職種を経験することが多いんです。
これでは、例えば結婚出産でキャリアを中断して職場に戻る時にも「私はこれができるからここに戻してほしい」と言えない。自分のキャリアを銀行にコントロールされている感覚が、強くなってしまいました。
それに、当時その銀行の定年は52歳だったんです。「あと22年こういう異動続きで52歳で定年させられて、65歳まで働く必要があるとしたら残りの15年ぐらい、何するんだ自分?!」と驚愕してしまいました(笑)。そんなふうにモヤモヤしている時に駐在先でパワハラを受け、それをきっかけに銀行は辞めよう!と決断しました。
————パワハラが最後の一押しだったんですね。銀行では、現地採用の方たちも同じようなキャリアの重ね方なんですか?
いえ、現地はジョブ型採用で、明確なポジションの募集に対して応募します。学んだ専門とポジションが一致しなければ、採用されません。まったく違う道にチェンジしたい人は、その分野について学び直すのが前提です。
日本と違い年功序列でなくスキルと経験でポジションが決まるので、何もせずに組織の中でポジションが上がっていくことはありません。ある部署でマネージャーロールが空いたら外から人材を採ってくることも多いですし、自分がマネージャーになりたいなら必要な経験を積んだり、勉強して資格を取るなどして、アプライする必要があります。
ひとつの企業の中での直線キャリアでなく、社外へ出ることを含めたキャリア形成が当たり前なので、皆さん常にCV(履歴書)に何が書けるかを意識していて、MBAに限らず働きながら勉強をしている人が多かったです。
自信を持って「自分は○○専門です」と言える現地の同僚たちを見ていると、私も自分のキャリアを自分で切り拓かないと、と思いました。
●キャリアの加速装置を買う感覚
————銀行を辞めた後コンサルに入られて、大学院進学を決意されたんですね。
入ったのは財務会計領域に特化したコンサルタント会社ですが、色々なプロジェクトにアサインされていたので、銀行ほどではなくとも「つまみ食い」しかできていない感覚があったんです。
昨日までIFRS導入(制度会計)をやっていたと思ったら、次の日には組織改編の仕事をしているという感じで、ある領域の一部分はわかっても全体像が掴めない。これでは社内で上の立場に進むとしても社外に出るとしても、自信が持てない。30歳でコンサルとしてスタートしたので、年齢的な焦りもありました。
先輩から「OJTを重ねれば大丈夫だから頑張りなさい」と言われたのですが、モヤモヤを解消しきれませんでした。そこで、一度ビジネスに関する知識・スキルを体系的に学ぶために、働きながらMBAに行こうと決心したんです。
————大学院進学は、飛び道具とか加速装置みたいな感じだったんですね。
「時間をお金で買う」と表現する方もいらっしゃいますけど、おっしゃる通りですね。20代で同じ状況だったらMBAに行こうとは思わずOJTで頑張ろう、と思っていたかもしれません。
もうひとつ、今の会社での自分のバリューは何だろう?と考えたのもきっかけでした。日本の会計士免許を持っている方たちが多く活躍している会社なんですが、私はアメリカの会計士免許しか持っていない。会計知識では同僚にも後輩にも敵わないし、今さら会計で勝負するのも時間かかる。悩んだ結果、私は経営管理全般や、コーポレートファイナンス全体を知る人材として勝負した方が良さそうだ、と考えたんです。
————実は金融・財務会計、と進んできたかえるさんがなぜMBAで一橋のホスピタリティを選ばれたのか、ちょっと意外で。何か理由があるんでしょうか?
一橋を選んだのは、費用の問題が一番の理由です。駐在を辞めた時に自己負担で帰ってきた上に、未経験でコンサルに転職したため年収も少し落ちていたので、国公立に絞りました。東京付近だと筑波・都立・一橋の3つです。実は夫が筑波の大学院に行っていて、話を聞くとテーマがしっかり決まっている方が研究する場というカラーが強く、そこまでテーマを持っていない私には合わないと考えたんです。結局は近さとネームバリューで、一橋の一択でした。
ホスピタリティコースを選んだのは、当時はアベノミクス全盛期で日本の次の産業は観光だ、オリンピックを機にこれから外国人観光客をどんどん呼ぼう、という盛り上がりがあったことが大きいですね。また、私は観光地の出身で、地元経済に対する問題意識も持っていたので、いずれ地元に貢献するという選択肢も残るかな、と。まったく未経験だったんですけども、何か少し自分に色をつけられたら面白いんじゃないかと思いました。
————パートナーの方や会社の説得は大変でしたか?
夫は自分が先に大学院に行っていたので、応援してくれました。子供もいないので、家事も調整しやすかったです。お子さんがいてMBAに行った方からは「正直、仕事はなんとかなったけど家族マネジメントが大変だった」と伺いました。皆さん時短家電を徹底活用したりして、家事の負担を減らす工夫をしていらっしゃいました。
会社も、ちゃんと仕事していれば学びたい人を応援してくれる方針でした。定時で帰れるジョブに入れてもらって、ありがたかったですね。本当に恵まれていました。
————奨学金や教育訓練給付金は使いましたか?
教育訓練給付金は、卒業してすぐ手続きしました。皆さん働いて社会保険料を納めているわけですから、使ったほうがいいと思います。奨学金はもらわず、入学金などで最初にかなりキャッシュアウトした時は、ちょうど値上がりしていた投資信託を一部解約し、あとはボーナスをあてました。
●一橋ならではの哲学的な学び
————一橋は期待通りでしたか?
そうですね、まさに期待通りでした。コンサル用語で「上流」と呼ぶ戦略的なところから細かい各論、組織や人事・人材管理まで学べて、経営の全体像を知るという意味で本当に学びが多かったです。
さらに良かったのは、鉄道・ホテル・政府観光局・アミューズメントパーク、エアラインや旅行会社など、仕事では出会えない業界の方たちと一緒に学べたことです。彼らから直接実務の経営課題を聞き、意見を交わすことができたのは貴重な学びでした。
————自分の仕事からちょっと外れた、飛び地に触れられるのもMBAのいいところですよね。
普通のMBAコースの授業以外に、ホスピタリティに特化した授業をプラスαで取れるのも楽しかったですね。アメリカの大学からホスピタリティ系専門の先生が夏季講習で来てくださったり、OB・OGなど実務家の方たちからお話を伺ってディスカッションしたり。
あと非常に興味深かったのは「経営哲学」という授業です。これは一橋特有の授業だと思うんですが、先生は渋沢栄一の研究者で「良い経営とは何か」をひたすら考える哲学的な授業です。自分が関わってる財務会計みたいに答えがある、数字でものを考えるのとはまったく毛色が違って、答えがないことについて自分なりに考え、同級生と意見を交わしてお互いの考えを知り合えるのがよかったですね。今バズワードみたいになっていますけど、本質的にとても重要な概念であるサステナビリティについてしっかり考える良い機会にもなりました。
●「多様性って、こういうことか!」
一方で非常に実務的な授業もあって、「ビジネスディベロップメント」という新規事業を一から考える授業が印象に残っています。初めに新規事業開発のセオリーをひと通り学んだ後に「はい、自分たちでやってみよう!」とグループワークに移り、最後の発表で一番面白そうなビジネスを決めるコンペ形式なんです。
実は私のチームが1位を獲ったのですが、この時学んだのは多様性がめちゃくちゃ大事だということ。チームメンバーの1人は実際に新規事業をやってきた方、もう1人は新規事業と組織開発に強い方、私ともう1人は財務面がわかってコスト計算や財務三表を作るのが得意。それぞれ違うナレッジを持っているメンバーが集まったので、お互いに敬意を持ちつつ一緒にひとつのものを作り上げることができたんです。
似たようなナレッジやバックグラウンドを持つ人ばかりが集まっていたら、多角的に検証ができず足りない部分が出てきただろうと思いますが、この時はまんべんなく必要な議論や検討ができて、先生からも非常に説得力があると評価していただいて。なるほど、スキルの多様性ってこういうことか!と。
私自身、財務領域を頑張ってきたという自負がある反面、どこまで通用するのか、どこまで人の役に立てるのかがわからず不安を持っていたんです。でも、自分にはないスキルや経験を持つ方と組めば、自分のバリューが出せて感謝もされる。それがわかって大きな自信になりました。こういう人たちと一緒ならきっといい仕事やプロジェクトができる、という実感が得られたんです。違うスキルを持つ方たちへのリスペクトも、それまでよりさらに高まりました。
————多様な人たちと一緒にやっていく、これぞMBAの真骨頂ですよね。
多様性は一橋も重視していて、先生に伺ったところ選考の時から一つの業界に偏らないように配慮しているそうです。
————本当にいい笑顔で話してくださっているので、この授業の楽しさが伝わってきました。
楽しかったです!大学院で一番心に残っているのは、この授業ですね。
●学びは自分のため・人のため・社会のため
————今後のキャリアイメージはどんな感じなんでしょうか?
これから10年ぐらいはMBAの知識を活かしながらコンサルとして一流になる、コンサルとしてどこででも生きていける自分を目指したいですね。その上で自分の知識体系に役立つと思う日が来たら、博士課程に進む選択肢もあると思っています。同級生や先輩の中にも、現在博士過程に通っている方がいらっしゃるんです。もちろん大変だと思いますが、お話を聞くと楽しそうです。
以前よく読んでいたブログの影響もあるかもしれません。理系の博士号を持っていて働きながらMBAに行って、さらに経営学博士号を取ったスーパーマンみたいな方が書いていらしたんですが、その方の「仕事で勝ち抜いていくためには学びも怠らない」という考え方がとてもかっこよくて、大好きなんです。
————かえるさんにとって、一度社会に出てから学ぶ、働きながら学び続けることってどんな意味があるんでしょうか。
自分のためでもあり、人や社会のためにもなることだと思います。自分がスキルアップしてさらにバリューを出せるようになれば、稼ぎが良くなったり仕事でのパフォーマンスがアップしたり、中長期だと「どこででも生きていける自分」を実現できて自分のためになる。もちろんそれも学ぶ意味ではありますが、自分のスキルが人のため、世の中のためにつながっていくことが、一番のポイントじゃないかと思うんです。
私は大学院で多様性の意味に気づき、自分のスキルを人のために最大限活用した時に生まれる効果はすごい!と感じました。学びを世の中や周りの人のために役立てることができれば最高ですし、そうあるべきだと思っています。