クイズ番組でMBA留学資金を稼いだ男 ヴァンダービルド大学

働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回はナッシュビルにあるヴァンダービルド大学で学ばれた山岡恭太さんです。

 

新卒で地元の自動車メーカーに就職した山岡さん。海外営業本部に配属され、ご自身の裁量に任された仕事に取り組む中で、次第にMBA留学への必要性を強く感じるようになりました。なぜMBAだったのか、なぜアメリカだったのか。すべてがロジカルにつながっていきます。

 

山岡 恭太さん

静岡県浜松市出身、大阪大学経済学部、Vanderbilt University MBA卒。Marketing、Strategyが専門。現在は外資系製薬会社のCommerical Excellence Head、趣味は登山とスキー、長野県白馬村と東京の2拠点生活中

卒業・修了した大学・大学院:Vanderbilt University MBA
入学年月日(年齢):2002年8月(27歳)
修了年月日(年齢):2004年6月(29歳)

集団行動ムリゲー人生。より自由度の高いスズキで経験値を上げる。

————まずはご経歴を。大阪大学の経済学部を学部で卒業されたということですね。

経済学の基礎の基礎を学び、その時「定量的に物事を考える」ということを散々叩き込まれました。今となってはそこが一番生きているかもしれないなぁ。

卒業後はスズキに就職しました。浜松にある車とバイクのスズキです。僕自身浜松の出身ですし、身の回りにはスズキで働いている人が多かったですね。実は父もスズキでバイクのデザイナーだったんですよ。

就職活動をしてみて、パナソニックやトヨタなどの大手メーカーや銀行系の内定もいただきましたが、選考が進むうちに「こんな巨大な組織に僕のような人間は合わなさそうだな」と気付いてしまったんですよね。もともと集団行動が得意な方でもなく、なんでも自分で判断してスピーディに物事を進めたい性分で。その点スズキは割と小さめの会社ですし、若手に権限を与えて仕事をまかせてくれるところもあり、選考の終盤の本当に土壇場になって他を全部断ってしまいました(笑)




————自分の働き方や、向き不向きみたいなものに21歳で気付くってすごくないですか?

いや、気付いちゃうと思いますよ。だって集団行動が苦手な自分を小・中・高としっかり経験していますしね(笑)

ただ、時代としては20世紀の話ですから、当時そういう考えをするタイプの人間は珍しかったかもしれません。「帝国大学を出て、トヨタ・日産じゃなくてスズキなのね」といった周囲の反応は確かにありました。スズキのことをもともと知っていたことと、当時から海外での売上率が高くて海外進出が特に発展途上国で進んでいたことも決め手となりました。

スズキに就職して4年。最初は3ヶ月の工場勤務からですが、長かったのは海外営業本部で北欧・東欧を担当していました。商社と一緒にやったこともあったし、子会社の潰れそうになっているところの株式分割など、何でも自分でやらせてもらえたので、ものすごく勉強になりました。




————これを入社して4年間でやったっていうのがすごいですね。

確かに大企業へ入っていたら、やらせてはもらえなかったことばかりですよね。いろんな契約書を持って公証人役場へも足を運んだり、価格交渉権を僕1人に託されたり。そんな環境だったからこそ、自分の足りていない部分がどんどん見えてきたんだと思います。

例えば、スズキ・ノルウェーみたいな現地でスズキ製品を販売している会社は日本のスズキの子会社ではなく、現地契約のディストリビューターが多かったんです。そんな現地のビジネスエキスパートと働く中で、自ずと欧米的な感覚を持つマーケティング思考のビジネスリーダーと関わる機会が増えます。

残念なことに日本のメーカーは、当時も今もマーケティングという考えが無く「いいものを作ったら売れる」的な考えが根強いんですよね。その成れの果てが今の日本の電機メーカー…といった感じなんでしょうね。

社長をマーケティング視点から説得できない自分にムカついて留学決意

————現地のビジネスリーダーと関わる中で留学の必要性を感じられたんですね。

ものすごくムカついた出来事があったんですよ。

車というのは、発売の1以上前にモックができるのですが、ある時、デザイン部からスクエアな感じのすごくいいデザインの車が上がってきたんです。ところがそこに社長がツカツカとやってきて「スクエアのところをカットせよ」と命じました。

それではデザインが台無しだ!!と思い、「ヨーロッパではこういった荷物も積めるタイプのスクエアなデザインのニーズがあるのですが、カットの指示を出す理由はなんでしょうか」と社長に尋ねると、「そんなことよりここを削れば鉄板が少なくて済むだろう」と一蹴でした。完全コストカット至上主義です。まぁそれがまた日本らしいんですけどね。

でも、そこでスパッと「1日ください。その鉄板をカットするコスト削減部分よりもデザインの付加価値のバリューの方が上回ることを明日までに計算します」と即座に言えなかった自分の無力さに心底ムカついたんです。

そんなこともあってMBA留学しようと思い立ちました。今ほどMBAという道は知られていなかったのですが、たまたま学部時代ゼミの教授がスタンフォード出身で、MBAの話を聞いていたこともあり、すんなり選択に入ってきましたね。




————ヴァンダービルド大学を選ばれた理由をお聞かせいただけますか?

小さめのスクールであることと、奨学金です。授業料が半額か75%か免除になったんです。また、コースがフレキシブルで自分の好きなものが取れたこと、全米で20位ぐらいの中堅どころでいい感じだったことなどもあります。

とにかくお金がなかったんですよね。スズキ時代は給料が安かったんで、4年働いて手取りが20万円を超えたことがなかったのです。なかなかの裁量を持たされて仕事していましたし、一部上場企業のくせに、ですよ。でも浜松ですし実家暮らしだったのであまりお金もかからないので、そこそこ貯金はできていたんですよね。

軍資金を稼ごうと、テレビの「ファイナルアンサー?」って聞かれるクイズ番組や、その他の番組にも出て賞金稼ぎをしたりしていました。確か「留学に行きたい貧乏」だったかなー(笑)




————すごい。見たかったなぁ...(笑)留学目的で出て実際に獲られたんですよね。

そう。ほんとにお金なかったんで、クイズ対策めちゃめちゃして出ました。確か250万の問題に挑戦したところで間違えて終了してしまったんですが、100万円はもらえたので助かりました。2001年ですからYouTubeなんて無いので、実家でお蔵入りになっているVHSのビデオがあるかも?(笑)

人生で一番勉強した。「レポートできてない!」と20年前の夢から飛び起きる。

————アメリカのビジネススクール時代のお話を伺いたいのですが。学部関係なく、いろんな研究科に行けるから、最初の方は一般教養だというのは聞いたことがあります。

そうですね。マーケティング・ファイナンス・経済学・経営学・統計学などなど。

アメリカのビジネススクール時代ですが、週休3日のはずなのにずっと勉強してる、みたいなハードな日々でした。最初の半年が日本の大学でいう一般教養の期間で、経済学にしろファイナンスにしろ、色んなことを網羅的に学ました。その後は小人数制で自分の専門分野や、興味やキャリアに応じたものをどんどん取っていく、みたいな感じですね。

 理論だけではなく、多くが完全に実務・ケーススタディの世界で、ガンガン実務ベースのスキルを作りあげていく。いわば「虎の穴」ですね。人生で一番勉強したかもしれない。

今でも夢に見て「レボートまだできてない!!」ガバっ!!と目覚める、みたいなことあります。何年経ってるんだよもう!って思いますが(笑)でも、MBA留学をしていた人からそういった話を結構聞きますよ。




————いや…これはすごいですね。では、その中でも、この学びがあったから良かったと記憶に残っているものはありますか?

知識より、働き方・ワークスタイルですね。あとはディスカッションの仕方とかかな。

留学生が3割ぐらいいて、それ以外はアメリカ人。様々な職業のバックグラウンドを持つ人たちと、効率的にグループワークで進めるという1つのプロジェクトのような授業でした。それぞれチームを作り、多様なメンバーとお互いに得意を活かして上手に分業して、「なるほどそういう観点もあったね」と互いに気づきを与え合いながら進めるスタイルは、まさに今の実務と一緒です。

日本と違うのは、指示待ってる意味がないみたいな感じです。指示を待ってても何も物事は進まないし。自分から考え、作り、どんどん前に動かしていく。しかもそれをロジカルにね(笑)




————そうですよね。パッションだけではダメですよね。

そうそう。気合と根性「だけ」ではダメです。上司の言うことを聞き、皆が同じ型にはまって同じことをするのを良しとするのは、高度成長の時代だったらまだしも、今は違うでしょう。

色々なバックグラウンドがあり、色々な気付きや学びがあり、クレイジーな人がいっぱいいることで新しいことが生まれる世界なのに、一体何年遅れなんだよ!と思いますね。出る杭は打たれる、じゃなくて、「出ない杭は存在理由なし」ですよ(笑)

会議で発言しないんだったら出る意味ないし、別のことをしていた方が生産性高いんじゃないか?と思われてしまう世界ですよ。

エッジを立てた掛け算のスキルが、自らを希少人材に仕上げていく

————大学のある場所が医療テックの得意な地だと伺いました。やはり留学が製薬業界への転向のきっかけとなったということでしょうか?

そうですね。1年目が終わると夏休みが3ヶ月あり、みんなそこでサマーインターンをするんです。僕は車業界に行くつもりでしたが、当時車業界が大不況でGMフォードが倒産しかけるというタイミングだったんですね。これはもう仕方ないと違う業界を探していたところに声がかかったのが外資系の製薬会社でした。

イーライリリー社でインターンをして、そこで内定をいただき就職しました。インターンの条件がすごく良かったんです。給与面はもちろんですが、インターンで神戸のイーライリリーに行ったのですが、その交通費や滞在費もきちんとカバーしてもらえて。

製薬というのは人の命に関わることですから、コンプライアンス意識をきっちりと高く持つ必要があります。レギュレーションや安全基準みたいなものに対する規制が強い。そういった部分は車とも似ているなと思ったんです。だから割とすんなり「あ、これ面白いかも」と思えました。物事をきっちりと定量化する必要性を感じました。

薬が世の中に出るまでには、5年10年スパンで時間がかかります。僕はマーケティングなので、コマーシャライゼーションといってそれを顧客に届けるところを担当します。じっくり考え、分析し、いくら投資してどのぐらい営業を割き、どのぐらいの売り上げがあって、というところを見るのです。




————やっぱりロジカルに考えることがお好きなんですね。

そうですね。基本的には定量化することがすごく好きです。

「信じられるのは数字と動物だけ」というキャッチフレーズを愛用しています(笑)

製薬業界のマーケティングって、外資も含めて遅れ気味であまり進化がないんです。ヒット商品というか一大ブームを起こすような広告を打ってPRとしたがるんですよね「ハズキルーペ!」みたいな(笑)これ、昭和のテレビ広告最後の花火だと僕は思ってるんですが。

しかし、現実の市場はニーズもどんどん多様化、細分化されていて、薬自体も複雑になってきています例えばがんの治療薬なんかは、分子標的薬といって、がんのタイプを詳細に検査して、標的となる部位をピンポイントで原因を叩きにいくようなつくりをしていて、例えばコロナのワクチンなんかもそうですね。医師はそういった複雑な薬から患者に合うものをきちんと選びたいが情報が多すぎる。それを整理整頓し効率的に伝えるのは、製薬会社側がしなくてはならないし、それが患者さんのためになることだと思うんです。

私は少し先行して対応するスキームを作れたので、新製品の発売に際し、定量化してリサーチができるんですね。こういったことは、なかなか業界の中でもできる人が少ないため、会社に依存することなく「いつ首にしてくれてもいいですよ」ぐらいのちょっと強い立場を保て、精神衛生上も非常にヘルシーに働けているなと思います。

「英語」✕「ロジカルな考え方に基づいて新製品の発売ができる」✕「定量化できること」

私に替われる人がほぼいないと思うのは、このスキルの掛け算によって、スキルにエッジを立てていることが大きいし、それらの礎にはMBAがあると思っています。

おかげ様で現在は比較的ゆったりと過ごすことができていて、今日は長野の白馬村からインタビューを受けていますが、東京との2拠点生活を楽しみながら日々を送っています。




————いやぁ、なんかかっこいいな。羨ましい!

「なんとなく留学」ではなく「だから留学が最適」まで思考を掘り下げる

————受験準備についてはどんな感じでしたか?

受験準備には1年ぐらいかけました。GMATという試験が結構大変で、朝5時に起きて、6時には会社に行って、朝の2時間は会社で勉強していました。TOEFLやGMATの勉強が主ですが、英語は割と得意でそこまでは大変ではありませんでした。小学校2年までアメリカにいたので、それが残っていたのかどうかなあ。でもそのプレッシャーで英語を勉強したのかもしれない(笑)




————プライドありますもんね(笑)1年間できっちり勉強して、すぐに受かって、且つクイズで100万円も稼いで。

そうそう(笑)。授業料免除の奨学金をもらい。

アメリカのMBAスクールって特にGMATで良い点を取ると、奨学金が出やすいんですよ。人によるとは思いますが、留学生でも6割7割はもらってると思います。

アメリカ留学って授業料が高いイメージですが、実際に満額払ってる人は僕の行っていた大学ではほぼいないという認識です。優秀な学生に奨学金を与えてどんどん来てもらおうというのがアメリカの大学なんで、見てくれだけの額に騙されずアプライしてみるといいと思います。やってみてほしい。

そういう意味でも、変にアメリカのトップ校とかにはこだわらない方がいいと思うんです。

名の通った学校に行った実績をキラキラした名刺に「MBA」と書いて満足したいのか、あるいは本当に役立つ自分のやりたい興味に合った内容で留学をして、それを活かしていきたいのか、というのを見失ってしまう人は結構いると感じています。

トップ校以外にもいいスクールはいっぱいありますし、MBAスクールの留学生の先輩たちがフレンドリーですから、まずは自分で動いて探して直接相談してみるというのもやってみたらいいのにな、と思います。




————こんな人が進学するといい、みたいなのってありますか?

なんとなく留学したいってことではなく、「自分はこうなりたい」とか「このスキルが足りない」とか、そういったことを深く掘り下げていき、その結果がMBA留学だったとか、MBAでなくてはダメだという考えに到達できるぐらいきちんとリサーチできる人が留学すべきだと僕は思います。なにしろお金がかかることなので。

語学留学も否定はしませんが、本気になれば国内で英語は勉強できるし、ビジネススクールも同様です。日本にもいっぱい良いスクールはありますよね。

私の場合で言うと「なぜ敢えて海外に?」という問いへの答えは、

「様々なバックグラウンドやカルチャーのリアルダイバーシティの中でどう働くか。ものすごいプレッシャーがある中でそれを体験し、結果を出すという経験はアメリカのMBA留学でなくてはならなかった」

という感じです。

ですから、ブランド指向の強い人は向かないだろうなと思います。留学が必要かどうかは、やはり自分に問うてみて欲しい。自分がどうなりたいか。このために何が必要か選択肢のいろんな方法の中でMBAが一番適してるから、それを選んだといった感じですよね。




————山岡さんご自身が今後こうなりたいな、こうしたいなってあるんですか

そうだなぁ。もういい加減、転職もしないだろうと思うんですよね。もうすぐ47歳になるんですけど、50ぐらいでセミリタイアして、ゆるく自営のセルフコンサルなんてしてもいいかなと思います。

ま、いつ辞めてもいいんですけどね(笑)




————(笑)かっこいいなぁ。山岡さんってとても自律した考えの持ち主でユニークだなと感じたのですが、どなたかの影響などあったんですか?

うちはねぇ、父が破天荒というか自由なタイプで、少なからずその影響を受けているように思います。子供たちには「好きに生きろ」と言って自由にさせてくれました。僕には姉と妹がいますが、おかげで3人とも自由に育ちました。昔、僕が学校から帰ってくると庭いじりをしていて、なんで会社行かないの?って聞いたら「こんな天気のいい日に仕事なんてするもんじゃないだろ」とか言うんですよ。

妹が大学を卒業をした瞬間に「オレの役目は終わった」といって会社を早期退職して、悠々自適に過ごしています。山が好きで山ガイドをしたりしていますね。僕も山が好きで、現在白馬に居を構えているのも父の影響が大きいかな。

あとは周囲の環境が田舎だったからなのか、放任というか、のびのびさせてくれてラッキーだったこともあります。集団に倣わせようとする環境だったら僕は潰れていた。1人集団から離れて好き勝手してしまっていても「あの子はアメリカ帰りだからちょっと変わってる」ぐらいの認識で、自由にさせてくれたんですよね。母は僕を育てるのに苦労もあったと思いますが「あなたのいいところを潰さないようにと気を付けて育てた」と言ってくれていますし、環境に恵まれていて運がよかったなと思います。




————いいなぁ。素晴らしいご両親ですね。今日はありがとうございました。

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