定年後も、生き生きと働ける社会を目指して。法政大学大学院政策創造研究科

社会人大学院の経験談を紹介する「先輩インタビュー」
今回は法政大学大学院政策創造研究科修士課程を卒業された千葉浩文さんです。

大学卒業後、営業・営業企画・法務・人事と様々な部署での仕事を経験し、現在はJ-オイルミルズでフェローとして働かれている千葉さん。これまでの経験から、「定年後もいきいき働ける社会」を作るにはどうすればよいかに強い関心をもち、大学院に入学されました。エネルギッシュな千葉さんから、これまでのご経験や今後の展望についてもお話をうかがうことができました。



千葉 浩文さん

明治大学(商学)で金融を学び卒業後、総合リース会社で営業(企画)と法務に従事。勤務先がGEに買収された後もリーガルを担当し中央大学(法学)の通信課程で学ぶ。化粧品会社の法務立ち上げのため転職。法務、化粧品事故対応、キャリア支援などを経験。定年前から、パラレルキャリアとしてキャリアコンサルタント養成講習講師や、裁判所での民事調停委員・司法委員を行っている。定年後再就職と同時に、会社員生活を総括し明日の社会に活かす目的で社会人大学院で人材育成とキャリア発達を研究。

卒業・修了した大学・大学院法政大学大学院 政策創造研究科 修士課程
入学年月(年齢):2020年4月(59歳)
修了年月(年齢):2022年3月(61歳)

営業・法務・人事と様々な仕事を経験

—————初めに、ご経歴を教えてください。

明治大学商学部を卒業後、日本リースという日本で最初のリース会社に入りました。この会社は長銀(日本長期信用銀行)の関連会社になっていたのですが、1998年の金融危機で山一証券や長銀などの金融機関がバタバタ倒産したときに会社更生手続により、GEキャピタルに買収されました。こうして、私は日本リースからGEという外資系に移籍という形で働き始めました。

会社員として営業と営業企画を10年間経験して法務に異動になり、定年前の4年間で人事を担当した以外は、定年後の再就職も含め法務・コンプライアンスを担当しています。GEに入って2年目に、中央大学法学部通信課程に入学して学び直しました。

産業再生機構のもとで鐘紡から独立したばかりのカネボウ化粧品に転職した際には、鐘紡からきた方と法務を立ち上げる経験をしました。産業カウンセラーやキャリアコンサルタントとして勉強していた時、丁度、あと4年で定年というタイミングで社会人人生初となる人事部に異動になりました。担当のひとつであったキャリア支援として、会社にセルフキャリアドックを導入し、2020年3月にカネボウ化粧品を定年退職しました。

カネボウ化粧品を退職した翌日に、J-オイルミルズにフェローとして再就職し、それと同時に法政大学大学院政策創造研究科修士課程に進みました。2022年3月に大学院を修了し、現在も、J-オイルミルズで働いています。






—————入社して、営業から営業企画、法務、そして人事を経験されたということですが、結構なジョブチェンジですよね。

そうですね。最初は本社営業から始まり広島支店勤務も経験しました。本社に戻り営業企画を担当している時に、丁度リース会計基準が導入されることになり法務部長と頻繁に打ち合わせていたことから法務に呼ばれ、結局、法務を一番長く担当することになりました。今でこそ、入社してすぐに「法務に行きたいです!」と希望する方もいるくらい法務という仕事が一般的になったと思うのですが、当時は「ホーム?法務で何をするんですか?」っていう雰囲気でした(笑)。ご縁があって法務に長くいたんですが、定年もそろそろだなと思っていた頃、急に人事に異動となりました。疑問に思い、「なぜ今さら人事に?」と人事担当役員に訊きに行った覚えがあります。

少し前に私にとって資格豊作の年があって、産業カウンセラー、キャリアコンサルタント、ファイナンシャルプランナー、メンタルヘルスなど色々取得したんです。そういう資格を買われての異動なら楽しそうだなと思って、「産業カウンセラーとかの資格をとったから人事なんですか?」と訊いたんですが、それは違うと言われ、少しがっかりしました(笑)。

人事担当役員が言うには、私の法務の知見を生かして、人事でコンプライアンスをやってくれということだったんです。そういうわけでスタートはコンプライアンスだったんですが、その後はキャリア支援や組織開発の仕事もするようになり、人事としての仕事の幅が広がっていきました。採用の仕事はお手伝いぐらいしかする機会がありませんでしたが、人事の専門ではないがゆえに色々新たなことにトライしてこれたので、人事の4年間は社会人の中でも特に楽しい期間だったなと思います。



学びは投資である

—————ご経歴のところで、GEに入って2年目に、中央大学法学部通信課程に入学したとお伺いしました。中央大学で学ぶにあたって、何かきっかけはあったのですか?

GEでリーガルマネジャーとして働くようになって、GEグループのリーガルがロイヤーばかりになってきたんですよ。そうなると、自分は弁護士資格を持っていないどころか法学部すら出ていない、これはやばいなと思うようになって。

中央大学では司法試験の基本書を書いているような先生方が学生のレポートを見てくれたんです。当時はまだ法科大学院ができる前だったので、そのような先生方が法学部の通信課程で学ぶ学生にも熱心に接してくれていました。その先生たちのサインは司法試験受験生からしたらよだれが出るようなもので(笑)。受かりはしなかったんですが、実は司法試験も受けたことがあったんです。だからミーハーな気分で楽しみながら勉強をしていました。

司法試験を受けるたびにだんだんと成績が下がっていったときに、これは基礎が分かっていないからだめなんだろうなと気づいて。仕事はあったけれども通信課程なら両立できると判断して、「今、学ぶしかない」とすんなり入学を決めました。



—————仕事をすすめるうえで危機感があって、あまり迷うこともなく入学したということですね。

そうです。あとは、GEで言われた言葉にも背中を押されました。GEでは「学びは投資だ」とよくいうんです。GEは、投資をする価値がある人には投資をします、と。

そこで学ぶことは投資をすることなんだと知り、実感しました。自分だって結婚して家庭もあるし、子供がまだ小さかったので、そうした大事な時間を割いて学ぶってのは確かに投資だよな、仕事で元を取らなきゃと。



—————「学びは投資」。確かにそうだと思います。学びって、少なくともぬるいものではないですよね。

当時の中央大学法学部の通信は、ほとんどの人は願書を出せば入れたのですよ。でも、多分卒業する人は1割もいなかったと思います。八王子の広いキャンパスの夏休みにはスクーリングに通う通教生(通信教育の学生)が溢れていたけど、そこに来ている価値というか、意識は人それぞれ、ひとり1人全然違っていただろうなと思うんです。


—————人によって意識に差があったということですか?

そうですね。自分は外資系という環境に放り込まれて、危機感があったからこそ高い意識で学び、卒業できたのかなと思います。家族の理解の他に、職場の理解という面でも、私は恵まれていました。レポート関係にあるゼネラルカウンセル(法務担当役員)の他、関係の深かった顧問弁護士、チーフリスクオフィサーやコンプライアンスオフィサーも、就業と就学の両立を支援してくれましたから、そうした期待に応えなきゃという想いもありました。



やりたいと思ったら、行動に移すべき

—————資格豊作年があったということですが、産業カウンセラーやキャリアカウンセラーの資格取得にあたっては何かきっかけがあったのですか?

Eテレで「資格を取ろう」というフレンドリーに資格を紹介する番組があって、家内とよく見ていたんです。そこで産業カウンセラーを紹介していて、「これ良さそうだよね。私申し込む」と家内が言った時に、「僕も」と便乗して申し込みました(笑)。



—————そんな番組があったんですね! 

今はもうやっていないんですけどね。面白い番組でした。資格を取得したときは法務にいましたが、産業カウンセラーは法務の仕事にも活きました。法務の仕事って、ああしなさいこうしなさいと言うだけではダメで、困り事を相談された時に同じ舟に乗れないといけないので、傾聴の姿勢が大切になるんです。だから産業カウンセラーの資格は取ってよかったと思うし、世の中の管理職はみんな取れば部下の話をもっと聴けていいのになと思いました。



—————法務の仕事をしていたときから、産業カウンセラーなどの資格を取る必要感をもっていたということなのでしょうか。

法務の仕事のときというより、営業の仕事をしていたときからなんとなく必要感をもっていた気がします。

入社して最初の10年間、営業をやっていました。営業の仕事というのは毎月毎月締めが来るんですよね。今月は目標を達成した、達成できなかったっていうのをみんなヒーっていいながらやっていて、結構周りが疲弊していたんです。こういうときにサポートしてくれる仕事があったらやってみたいなって思っていたんです。

そういう仕事がないのかなって調べたら、なにかカウンセラーのような仕事を見つけたのですが、大学院に進学する必要があり当時は無理だと思って一旦あきらめていたんです。もしかすると臨床心理士だったのかもしれません。それから随分時が経ち、Eテレで産業カウンセラーを見て、これなら誰でも取れるんだと思って養成講座に通った記憶があります。



—————すごいですね。感度が高いと言うか、いつでも課題感のようなものをもちながら生きてるんですね。みんな大学院に通いたいとか思いには上がると思うんですけど、「大変だしな」とか、「面倒臭いしな」と言って、結局やらない人が大半だとは思うんですよ。千葉さんはなぜそこで「やってみるか」と行動に移せるのでしょうか。

中央大学に通っていたときも産業カウンセラーの養成講座に通ったときも、どちらも当時の職場や家から通いやすいところにキャンパスや教室があったんです。通いやすいし、今行かない理由がないと思って通い始めました。

今やった方がいいんじゃないかと思って行動に移し、失敗したことがあまりないんですよ。私の周りにも大学院に行きたいっていう人がたくさんいるんですが、「補助金をもらえるまであと数年かかるから」とか「今仕事忙しくて」とかみなさん言うんですよね。そういうときは「行きたいと思って、行けるときに行かないと将来何があるかわかんないよ」と、自分のエピソードも交えて話します。



—————機会を逃さないんですね。

そうですね。早くやっておいて損だったこと、早くやりすぎて失敗だってことはなかったです。


—————色々な人に社会人大学院のインタビューをさせてもらってて、まとめた時にこのみんなに共通する項目って何なのかな?っていうのを論文などを見ながら調べていたんですけど、そこで「自己変革スキル」っていうワードに辿り着いたんです。「自分で自分を変えていく」っていうスキルなんですが、そのスキルの中に「機会を逃さない」という項目があったんですよ。それに今の千葉さんの話がすごいぴったりだなって思いながら聞いていました。

ありがとうございます。



「定年後も生き生きと働ける社会」を目指して

—————カネボウ化粧品を2020年に退職されて、現在はJ-オイルミルズにフェローとして再就職されたということでしたね。

はい。J-オイルミルズに入るのとほぼ同時に、4月1日に法政大学大学院政策創造研究科修士課程に入学しました。



—————ということは、カネボウ化粧品にいらっしゃる時からもう法政に入る準備はしていたってことですか?

正確にいうと、研究計画書以外は準備らしい準備というものはあまりしていませんでした。

法政大学大学院に進学後、指導教授としてお世話になった石山先生とは元々知り合いで、呑み会で話しながら大学院に進学することを期待されていたように感じていたんですけど、私は、「子どもの教育にもたくさんお金がかかるし、自分の教育費に回せるお金はないから無理です」と言い続けていたんです。

でも、入学前に退職すれば少しまとまったお金が入ってくることがわかり大学院で学ぶことが実現しました。カネボウの親会社である花王は自由定年制という制度を取っていて、 45歳から59歳6ヶ月までの間の好きな時期に自分の定年を決められるんです。私は9月生まれだから本当は2020年9月が定年なんですけど、その半年前の3月に自由定年制を利用して定年しました。



—————自分で決められるっていいですね。自分の引き際を自分で決められる。

そうそう、すごくいい制度だと思います。

私は転職組かつ自由定年が適用される最終月だったので、それほどたくさんの退職金を頂いたわけではないんですが、それでも大学院の学費1年分ぐらいはいただきました。それで家内に「このお金、大学院進学に使ってもいい?」ってこそっと聞いたら「あなたのお金だから好きにしたら」と言ってもらえて。退職した年の入学に間に合う最後の試験を2月に受けて合格し、入学しました。



—————法政大学大学院にはどのような思いをもって入られたのですか?

定年までバリバリ働いてきた人たちが、定年後もいきいきと働ける社会について考えたかったからです。私自身は、子どもたちに「お父さんってボンクラだけどそれなりにうまくやってきてるよね」って言われるような人間で(笑)。実際そうなんですが、そんな人間でもここまで地味にですけど勤めてくることができました。

カネボウ化粧品でも法務部長をさせてもらったし、定年後もありがたいことに法務のチームビルディングをして、次のリーダーを育てるというミッションで再就職できました。経歴でお話したとおり、私自身経験してきたことはたくさんあるんですよね。その経験の中で、「なんでこうなんだろう」と思うことがあって。そのひとつが定年後の働き方なんです。

大きい会社で、定年まで部長でバリバリやってきた人たちが再就職の日になった瞬間に、5時ぐらいに「失礼します……」とか言って、そっと帰ってしまうんです。今までブイブイ言わせてた人たちが、なんでこんなに寂しい働きになってしまうんだろう、というのはずっと頭の中にありました。

定年というのは会社が決めた年齢で、別に定年を迎える前の昨日と、迎えた後の今日で能力が急に変わるわけでもないのに、なんでいきいきしなくなっちゃうんだろうかと。それで、自分の会社員生活の総括としても、「いきいき働く」ってどういうことか研究したいなと思っていました。



—————「自分も含めて、定年後の人たちがどうしたら楽しくいきいき働いていけるか」というテーマをもって大学院に入ったんですね。

そうですね。石山先生の最新の著書でも、「定年後もいきいきと働いている人たちって、定年前と定年後でどういう働き方をしているのか」というテーマを扱っていますが、自分もそういうのがやりたいなと思っていました。


—————私も社会人大学院がいいな、世の中に広まってほしいなと思うきっかけがあって。とある授業で、中年のキャリアプラトーについて学びました。新卒で入社と同時に勝手に出世レースに乗せられるも、限られた椅子に座れなかった人はどんどん肩身が狭くなっていく。役職定年や早期定年を求められて、会社にも自分にも期待しなくなり、フラフラしている、働かないおっさん、妖精さんなんて言い方もありますが、これってめちゃめちゃもったいないと思ったんです。個人の問題じゃなくて、世の中の仕組みの問題なのに、どうして個人のせいばかりされているんだろう、と。だから千葉さんのように学び直して次のキャリアにいくというのが当たり前になればいいなって思っていたので、同じ思いをもっている方に出会えてとてもうれしいです。

本当ですね。秋山さんとクラスメイトになりたかったです(笑)。お若いのにそんな風に感じるっていうのがすごいですよね。私は定年を迎えているので、悪い扱いを受けるのは自分のこととして腹が立つなとは思うんですけど、次の若い世代の人たちにもそう思っていただけるというのはすごく心強いですね。



大学院は学びのサードプレイス


—————大学院の中でこれが最大の学びだったなとか、これがあったから行ってよかったなと思うことなどありましたら教えてください。

少人数のゼミで、仲間たちと切磋琢磨できたことがよかったですね。僕の同期は12人いて、クラスで飲みに行ったり、勉強会をしたりしていました。他の大学院は、教授と学生が1対1か2くらいのところもあるみたいなんですが、自分には10人くらいの仲間たちや教授と研究テーマをディスカッションしながらというのが合っていました。他の大学院に行っている友達からは「千葉さんの入ったゼミはいつも楽しそうでいいね」って言われていましたね(笑)。いい雰囲気の中で過ごせていたんだと思います。

ゼミの時間に順番に発表していって、自分の番になると突っ込まれて「確かにそうだよな」と深く考えて。そういう場があったのが本当によかったなと思います。合宿も春と夏にあって、春はずっと論文を検討して、夏は少しレジャーとかの遊びも入れたもので、楽しかったです。もっとも、私が修士課程に通っていた2年間は丁度コロナ禍の制限があった時期と重なっていて、合宿は一度もなかったのですが、その分、修了旅行や留学生のゼミ仲間が帰国する前の壮行会などでは、みんなはじけて楽しみました。

大学院は、自分にとって理想的な、学びと遊びのサードプレイス的な場所でした。大学院に入る前から良さそうな場所だとは思っていましたが、入ってみるとやはりドンピシャで。この歳になって、大学院のゼミというサードプレイスに巡り合ったのはラッキーだなと感じます。



—————わかります。10人くらいの少人数ってちょうどいいですよね。

そうですね。ゼミの仲間には随分助けてもらいました。大学院の2年間はほぼ楽しかったんですけど、最後の修士論文を出すところだけはヒーって言いながら、すごく苦しかったので、ああいうときに一人でやっていたら、折れて論文提出をあきらめていただろうなと思います。

「ここで諦めるのもったいないよ。」とゼミの仲間たちに言われながら、なんとか書き上げることができました。乗り越えられたのは、本当に仲間と学んできたからだと思いますね。






—————サードプレイスで得られる、横のつながりというのもいいですよね。一日のスケジュールとしては、どのような時間帯に学んでいたんですか?

平日の日中は仕事があるので、平日の夜や週末に学んでいました。


—————ここからは未来の話も聞いてみたいんですが、今後チャレンジしたいこととか、学んだこと活かしてこういうことをやっていきたいことなどはありますか?

大きな野望みたいなのは特にないんですが、なんらかのカタチで働いていたいなとは思っています。自分の経験や知見に次の世代の人たちが触れるような機会を継続させるには、自分が働いていなきゃという気持ちがあります。かつ、働いている方が自分にとって健康的なんですよ。ただ、働き方をどうしようかなという迷いはあります。日本の会社だとどうしても年齢の縛りがあるので。今はありがたいことに再就職して働いていますが、その後どうしようかなと。

一つの道として、外資系企業でもう一度働いてみたいというのがあります。ただ、外資系と言えども日本法人である以上定年の縛りはありそうで、ずっと働くことはできないのかもしれません。あとは、フリーランスの道も考えています。大学院の指導教授の石山先生が、働き方として雇用にこだわらないフリーランスをテーマにしているんです。せっかく石山門下になったのだから、今やっている副業の比重を増やしていってフリーランスに軸足を移していくのもありなのかな、なんてことも考えています。

でもやっぱり外資系のひりひりする環境で働きながら、フレキシブルに副業もやる働き方をあと2、3年はやりたいなと。このところ、ぐるぐる考えている状態です(笑)。



—————千葉さんのような知見のある方が働き続けてくれて、身近にいれくれることで次世代の学びにもつながると思うので、いつまでも現役でいてください!!では、最後に聞かせてください。千葉さんにとって、大学院とはなんですか?

サードプレイスであり、楽しい場でした。色々な背景をもった方々と共に学べる、大学院を見つけられたのは自分にとって本当によかったと思います。

あとは、ダイバーシティを感じられる場でもありました。性別、年齢、国籍に関係なく、社会人であっても学生の頃のように接することができました。日本の企業でもダイバーシティを実現しようって言われていると思うんですが、それでも結局なんだかんだあってうまくいくことが少ないじゃないですか。四半世紀前に働いた頃のGEと比べても、そう感じます。学びの場だと、ダイバーシティが本当に実現するんだなということを感じました。そしてそのダイバーシティが生産性に(研究での発見に)しっかりと結びついていたんです。



—————確かに、色々な得意を組み合わせられるので生産性は高くなりますよね。

ダイバーシティの良さも実感できるので、そのような意味でも会社員の人には大学院で学んでみてほしいですね。



—————本日はおもしろいお話をたくさん聞かせていただきました。ありがとうございました!






執筆者:aida



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