働きながら学ぶ人を紹介する「先輩インタビュー」
今回は京都芸術大学大学院芸術研究科でMFA芸術修士を修めた土田智さんです。信州伊那谷を拠点として、アートディレクター、デザイナーとして活躍している土田さん。長野市の短大で非常勤講師として幼児教育の図画工作演習を担当するなど、多彩な活動をされています。
入学までの経緯や大学院でどんな学びを得たのかについてお話を伺いました。
美大卒業後の就職難を経て、地元信州(長野県)の広告代理店でデザイナー・アートディレクターとして勤務。デザイン事務所として独立後、「完全オンライン・スクーリングゼロ」の京都造形芸術大学大学院(現・京都芸術大学大学院)芸術研究科 学際デザイン研究領域で「デザイン思考と伝統文化」を学び、2022年3月に芸術学修士(MFA)を取得。
●人見知りの大学時代と最初の学び直した
———— 長野県の下諏訪出身でいらっしゃるんですね。大学は山形へ?
はい。もともとは建築をやりたくて、2001年に東北芸術工科大学デザイン工学部・情報デザイン学科を卒業しました。面白いカリキュラムの大学で人類学とか民俗学の授業があるんです。高校時代から好きだった赤坂憲雄という先生がいたのも芸工大を選んだ理由です。大学には、途中学科を移ったこともあり、5年行きました。
———— 卒業後は、大学の仲間と山形市で「写真とデザイン・サンデーブース」を設立されて。
ええ、みんな一度も就職経験がないのにいきなり起業(笑)。美大は誰も就職活動を教えてくれないし、就職氷河期だったというのもあって起業するしかなく。でも、なかなかうまくいかず1年後には、地元の信州に戻って、広告代理店にデザイナーとして就職しました。そこで10年くらい働きました。その後、2014年に現在代表を勤めるアトリエ・リムという名のデザイン事務所を立ち上げました。
———— 大学院の話をうかがう前に、アトリエ・リムについて教えてもらえますか?
建築家のミース・ファン・デル・ローエの「Less is more」という言葉がすごく好きで。できるだけシンプルにすることで本質を明らかにしようというもので、ミニマリズムにも通じる考え方です。
そこから、「減らして・より良くする」をモットーにしたデザイン事務所を立ち上げました。過剰よりも少ないこと・減らすことを優先して考え、課題解決から、より豊かな関係性や価値創造に向けて、毎日を楽しく生きる(生き延びる)ためのデザイン=設計・提案をしています。前職の広告代理店では、どうしても目先の利益を追求する仕事がメインになってしまいます。そうではなくて、じっくり企業のブランディングをしていきたかったんです。
———— 「生き延びる」というのは何か思い入れがあるワードなんですか?
会社そのものは大きくしようと思っていなくて、身近なところをどう持続させていくかを考えていこうという気持ちですね。小さくじっくりやっていきたいというのがあります。
●完全オンライン・スクーリングゼロで念願の大学院へ進学
———— 進学しようと思ったきっかけを教えてください。
京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)には東北芸術工科大学時代の友人が行っていたことがあって、大学院って良いなとずっと思っていました。でも、大学院はスクーリングがあって、月1で長野の山奥から通学しなくてはいけないのがネックでなかなか決断できず。
そこへ、京都芸術大学が「完全オンライン・スクーリングゼロ」の大学院を始めることになり、これだ!と。もともと行きたかった「地域での芸術環境研究領域」ゼミの募集は残念ながらなくなってしまったんですが、新たに学際デザイン研究領域というのができたので、そこに行くことにしました。
———— 進学の理由について「自らの関わりやコミュニティのあり方をデザイナーとは別の角度から意味づけする必要性を感じていた」とおっしゃっていましたが、それはどういうことですか?
デザイナーというのは、どうしても企画の最終段階で呼ばれることが多いんですが、僕はもっと上流のコンセプトの部分から関わりたかった。京都芸術大学大学院芸術研究科ならMFAという称号が得られて、論文やレポートを書く能力も身につけられるので、デザイナーではなく研究者という立ち位置で、自分がやってきたことを意味づけして地域を元気づけることができると思ったんです。
———— ハッとすることを言ってくれますよね、デザイナーさんは。
例えば、続けることだけが目的になってしまっているイベントに対して、本当に続ける価値があるのか?と疑問を呈したいことがあります。固定観念を手放して「やめる」選択をするだけで本来あるべき形に戻れることがたくさんあるので、「もうやめたら?」と僕はよく言います。
———— 京都芸術大学のキャッチフレーズとして、デザイン思考×伝統がありますが、やっぱり土田さんもデザイン思考を学ぼうと?
ほとんどの人はデザイン思考を学ぶために来ていると思うんですけど、僕はそこにはあまり興味がなくて。地域と密着してデザインの仕事をしていきたいと思っていたので、デザインより「伝統文化」のほうに関心がありました。ゆさぶったり、あたらしいことに取り組むことで、実は新しい伝統が続いていく。そういうことを大学院で学べました。
大学院では「デザイン思考を逆向きに検討する」ということをやっていました。いま残っているものはデザイン思考的なプロセスを経てきたはずだという仮説を立てて、逆にたどっていくと、どこにコミュニティ内で大胆な仮説ができたのか、誰がそこで大胆な問いを発したのかという問いを発見できるんじゃないかと。
すごく地味な人が地域の場を下支えしているのに誰からも褒められてない、でも実は、この人だったんだ!というような気づきが大学院時代にたくさんありました。
●授業で当事者として研究対象に飛び込むことの面白さを知る
———— クラスメイトはデザイナーが多かったですか?
マーケティング系の人が多かった印象ですね。こういう人と地域でどう付き合っていくかもこれから大事だと思うので、そういう意味でも良い勉強ができました。
———— 1週間のスケジュールはどんな感じでしたか?
月火は教材を読み込む日、水木はプレゼン用の資料などを作る日、金土日で見せあいながらセッションするという感じ。通信教育なのでみんな自分の仕事の忙しさに合わせて勉強を調整していました。M1はみんな忙しすぎて大変そうでしたね。学びはすべてM1でこなして、M2は小さいチームでの研究がメイン。M2でチームビルディングを失敗すると大変なことになります。
———— 大学院で一番思い出に残っていることは?
自分を当事者として組み込んでいくということを学びの中で実践できたのが面白かったです。
———— 自分が生きてきたコミュニティを再認識するのが面白かったということですか?
それもありますし、自らを見つめ直すというのが社会人大学院の機能だと思うんですね。ビジネス上の武器を取るために進学するという人ももちろんいるでしょうけど、自分に向き合う時間を持って、これからの自分を考える。13歳の自分と出会いながら、間違っていないなと思ったり。
———— といいますと?
M1のときに日記をつけるという課題がありまして。朝起きて思ったことを書き留めるんですが、自分に向き合うのがなかなかハードで。
———— 夢日記ですね、やらないほうが良いと言う人もいますよね。
夢日記って良い方にいく人とダークな方にいく人がいると言われていて。僕はダークなほうに行ってしまったんですが、結果的には過去から現在がつながるように再構築できたので良かったと思います。ビジネスでも経営者の思いがどこに含まれているのかを考えるようになりました。アイデンティティは揺さぶらないと出てこないという学びです。
京都芸術大学は社会構成主義をベースにしているらしく、一緒に学ぶチームや学ぶ場をいかに信じるかが大事でした。ゼミでよく言われていたのが、「みんな分析しすぎ」ということ。「分析しすぎていて謎が何も残っていないものがはたしてアートなのか?」というツッコミもありました。そこに当事者の自分が入るとさらに主客を分けられなくなって面白い、というのが学びのポイントだったように思います。でも、そこまでできない人も中にはいました。
———— 主客をあいまいにして飛び込むのは怖さもありますしね。ほかに大学院で印象に残ったことはありますか?
最初の頃の授業の講評で、ある先生が高畑勲監督の『柳川堀割物語』というドキュメンタリー映画を勧めたことがありました。実は、この映画は中学生の頃にはじめて観たときからずっと気になっていた物語なんですが、なぜ当時心にひっかかったのか。その理由がいまも変わらずに自分の中に問題意識としてあるんだとわかりました。
———— どんな理由だったんでしょうか?
映画で描かれているのは、少し昔の日本なんですが、暮らしがそのまま場を維持するシステムになっていて、コモンズの成立と解体がきちんと描かれている。そこに心が惹かれたんだと思います。
この発見があってから僕はもうずっと「後ろ向きで行こう」と決めました。大学院では新しいことを生み出すとか、キラキラした研究にみんな行きがちなんですが。過去や自分と向き合う中にビジネスにも活かせるフィードバックがあるという実感ができたのが大きな学びだったなと思います。
●みんな悩んでいる。だから入学前に悩む必要はない
———— 修論は書いたんですか?
はい、京都芸術大学は変わっていて、修論は4,000字と決まっています。修了後、1年間研究員として大学院に残ることができたので、いま修論を学会発表できるよう2万字に仕上げているところです。
———— どんな論文なのか興味があります。
もともと情報デザインを専攻していたので、コミュニティにおける情報伝達プロセスと、お祭りの後に一緒に飲んだり食べたりする直会(なおらい)という集まりがあるんですが、この2つの視点からコミュニティの持続についてというテーマで書いています。暗黙知の研究も少し入っていますね。野中郁次郎さんとかグレゴリー・ベイトソンとか。僕が生まれた下諏訪は御柱祭ど真ん中の地域で、そういう先行研究がいっぱいあるんです。
———— ご自身の育った環境も含めて、いろいろなことが修論には反映されているんですね。修論でのご苦労は?
美大ではレポートや論文はないので、そもそも論文を書くこと自体、大学院がはじめてだったんですよ。だから、「これがロジカルなのか!」と(笑)。最初の演習で、たぶん僕が最低点だったんでしょう、先生から「まったく書けてません」と言われました。でも、M1の最後には「しっかり書けました。土田さん、すごく伸びてますね」と褒められるようになりました。
———— 結構厳しいことを言われたんですね。
いや、とにかく書き方がわからなかったので、「論文ってこうやって書くんだ!」とわかってむしろ楽しかったですね。読めなかった本がちゃんと読めるようになりましたし。授業で僕がとんちんかんなことを言うと、仲間が理路整然と僕のダメなところを指摘してくれて(笑)。一方で、共感を生むにはロジカルさだけじゃダメなんだともわかりました。ロジカルとアートの両方が大事だなと。
———— 大学院でいろいろな気づきや発見をされたんですね。どんな人に進学を進めますか?
大学院は異年齢どうしの学びというのがポイントだと思っています。いろいろな年齢の人同士で学び会えるのが幼稚園みたいで面白かったので。あとは、自分の社会的な立場やプライドを棚にあげて学べるか。プライドが邪魔してしまっている人もいて、もったいないなと。たまたま僕の代は40代、50代が多かったので、ミドルエイジクライシスの問題もあるなと感じました。みんな悩んでるんだなと。だったら、入る前に悩む必要はないよ、入ってから一緒に悩めば良いよと言いたいですね。
———— とても楽しそうに大学院や研究のことを話す土田さんが印象的でした。ありがとうございました!